坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「生」のお話②~命の鼓動、見えない内側からの力~「法の水茎」35

毎朝、鶯の声で目覚めます。
心地良い目覚まし時計です。

この頃は、カエルも鳴き始めました。

いよいよ田植えも間近になってきたようです。

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シャクナゲ

大ぶりの花は目立ちますね。
石楠花(シャクナゲ)の葉っぱには毒があるので要注意です。


今回の文章は、四苦八苦の「生苦」をテーマに、生まれる無常観、芽生える勢いについて書きました。これからの季節に合わせたものです。

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「法の水茎」35(2015年5月記)



  青葉さへ 見れば心の とまるかな 散りにし花の 名残と思へば
                      (西行『山家集』)
(たとえ葉桜であっても、眺めれば心が惹かれることよ。散った桜の名残と思えば)

 この歌を詠んだ西行法師(1118~1190)は、青々と茂った新葉に、満開の頃の桜の花びらを重ねました。思えば、今か今かと桜の開花を待ち望み、開けば散るのを惜しんだ春の宵も、遙か昔のことのように感じます。西行は、足早に「散った桜」(過去)と、今でも「留まる心」(現在)を比べながら、なお残る「余韻」を感じているのでしょう。

 風薫る5月……季節は初夏を迎えています。西行を慕った松尾芭蕉(1644~1694)は、この時節の若葉の煌めきに目を奪われました。

  あらたうと 青葉若葉の 日の光
           (『おくのほそ道』)

 これは、芭蕉が栃木県日光を訪れた際の作です。結句に「日の光」として「日光」の地名を掛け、その和らかな光に照らされる新緑の目映さを織り込みました。初句の「あらたうと」とは、感動したときに発する「あら尊し」の意味で、感謝の心が込められています。木漏れ日の中で、新しい命の芽吹きに触れたとき、自ずから「ありがとう」の思いが湧き上がってきたのではないでしょうか。

 瑞々しい新緑に目をこらせば、「ユズリハ」(楪)という樹木にも目が留まります。新年や祝いごとの飾り物としても用いられるユズリハは、初夏のこの時期に、旧い葉と新しい若葉の両方を見ることができます。ユズリハは、枝先に薄緑の若葉が顔を出すと、それを見届けてから旧葉が落ちます。それはまるで親から子へと上手に受け継がれるように見えることから「譲り葉」と名付けられたのでした。

 日本は春・夏・秋・冬の四季に恵まれ、折々に美しい姿を見せてくれます。しかし、春が過ぎ去ると同時に夏となり、夏が終わっていきなり秋が始まるわけではありません。こうした自然の移り変わりについて、兼好法師(1283頃~1352以後)は、『徒然草』の中で次のように記しています。

 春が暮れて後に夏になり、夏が終わって秋が来るのではありません。春は春のままで夏の気配を萌し、夏のうちから早くも秋は行き来し、秋はすぐに寒くなり、陰暦の10月(冬の初め)は小春日和の暖かさになって、草も青くなり、梅も蕾を結びます。

 木の葉が落ちるのも、まず葉が落ちてから芽を出してくるのではありません。木の下から芽生える勢い(「つはる」)に我慢しきれないで、旧い葉が落ちるのです。新しい力を迎え取る気を既に用意しているので、待ち受けて交替する順序がとても早いのです。
                  (『徒然草』155段)

 兼好によれば、その季節の中に、もう次の季節が準備され、芽生える勢い(「つはる」)によって、新旧交代が行われると言います。芽ぐむことを表す「つはる」とは、妊娠の「つわり」と同じ表現ですが、そうした見えない内側からの力によって刻々と変化していると語った点は注目されます。桜の散り際など、どうしても滅び行く姿に目が行きがちになる中で、新しい命の鼓動を感じ取っているのです。

 さらに兼好は、自然の四季(春夏秋冬)と、人間の四苦(生老病死)とを重ね合わせています。

 生まれ、老い、病気になり、死ぬという4つの苦しみが巡ってくることは、四季の変化以上に早いものです。季節には春・夏・秋・冬という順番がありますが、死期は順序を待ちません。死は前からやってくるとは限らず、 あらかじめ背後に迫っています。人は誰しも死があることを知りながら、身近にあるとは思わないので、突然にやってくるのです。それはまるで、沖までの干潟が彼方まで続いていても、足もとの磯から急に潮が満ちて来るようなものなのです。
                  (『徒然草』155段)

 「老少不定」という仏教語があるように、人間の寿命は分からないものです。老いも若きも年齢は関係ありません。生きている限り、老・病・死から離れることはできませんが、こうした苦しみの存在を心のうちに置けば置くほど、この与えられた命の尊さに気づくのかもしれません。

  四時の移り変はるにも 生老病死の心を観じ
               (宗祇『長六文』)

 この爽やかな5月にも、どこかに梅雨時の空気が含まれているのでしょうか。青葉若葉の力強い息吹を感じつつ、そこに自分の命の恵み(芽ぐみ)も重ねてみます。


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最後までお読みくださりありがとうございました。