平成の雨が降り注いでいます。
大輪のシャクナゲも、雨風を受けるように、花弁を小刻みに揺らしています。
今回の文章は、四苦八苦の「愛別離苦」をテーマに、愛する者との再会と別れについて書いたものです。
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「法の水茎」42(2015年12月記)
山おろしの 月に木の葉を 吹きかけて
光にまがふ 影を見るかな
(西行『山家集』)
(山から吹きおろす風が、木の葉を散らして月に吹きかけている。月の光と色づいた葉が混じり合って、清かに照り輝いている)
秋から冬へと季節は移ろい、朝夕の冷え込みによって空気がいっそう澄み渡ってきました。冬の夜空を仰ぎ見れば、月の光や星々の瞬きが、くっきりと目に映ります。風に舞う木の葉が月光に照らし出される姿は、この時期ならではの冴えた光景と言えるでしょう。
平成27年もあと数日を残すのみとなりました。皆様にとって、今年はどのような1年だったでしょうか。嬉しかったことや、辛かったことなど、「喜怒哀楽」を日々経験しながら、あっという間に「今」この時期を迎えているような気がします。
何事を 待つとはなしに 明け暮れて
今年も今日に なりにけるかな
(『金葉集』源国信)
(何を待つということもなく、毎日を明かし暮らして、今年も年末になってしまったな)
「歳月人を待たず」。時の流れは、人間の感情や都合に関わりなく着実に過ぎ去ります。「今」は、間(ま)を置くことがありません。艶やかに色づいた秋の紅葉を惜しんでも、やがて吹き荒れる木枯らしが、残らず払い落としてしまいます。
歳月のみならず、私たち人間も、時の流れに沿いながら「出会い」と「別れ」を繰り返しています。「合うは別れの始めにして、楽しみは憂いの伏する所なり」(白居易『白氏文集』)という漢詩のように、会えば必ず別れの時があり、喜びの中にも悲しみが隠れているのです。
「愛別離苦(あいべつりく)」という仏教語があります。「愛別離苦」は、「父は東へ、子は西へ、兄は南へ、弟は北へ」と、家族が離れていくことに喩えられます(政祝『秘蔵宝鑰私記』)。さまざまな別れの中でも、親兄弟、妻子など愛する者との別れほど辛いものはありません。生きながらの遠い別れはもちろん、身近な者が亡くなるという永遠の別れは尚更の苦しみでしょう。
別れの苦しみをめぐっては、次のような話が残されています。
平安時代のお話。京都の六の宮という所に、見目麗しい姫君が住んでいました。若くして両親と死別し、乳母(母に代って養育する女性)の世話で、ある男と結婚しました。姫君はこの夫を頼って過ごしていましたが、やがて夫は任務のために遠くの国へと行ってしまいます。
7・8年の時が過ぎ去りました。夫は京都に戻り真っ先に姫君に会いに行きますが、どこにも見当たりません。夫は、京の街中を必死に探し回ります。
ある冬の日のこと、急に時雨が降ってきたので、雨宿りをしようと近くの家に立ち寄ってみると、なにやら窓から人の気配がします。そっと覗き込んでみると、汚らしい筵(敷物)を周りにめぐらして、2人の姿が見えました。それは年老いた尼と、痩せ細った影のような若い女性でした。寒さ厳しい中で、みすぼらしい着物を着て、手枕をして寝ています。
男がじっと見つめていると、女性は目を覚まし、愛らしい声で一首の和歌を詠みました。
手枕(たまくら)の 隙間の風も 寒かりき
身はならはしの ものにぞありける
(昔はうたた寝の手枕にも、すきま風が寒く感じられたのに、今はこのような姿で眠っている。この身は、世の流れにすっかり慣らされてしまったよ)
それは、まさに姫君の声でした。すぐさま抱き寄せると、変わり果てた姿の姫君は「本当に、遠くに行ったあなたなのですね」と呟くと、そのまま身体は冷たくなって息絶えたのでした。
すると夫は、すぐさま出家し法師となって、尊い修行に明け暮れました。出家というものは、遠い前世からの因縁(つながり)によるものなのです。
(『今昔物語集』)
この話は、芥川龍之介『六の宮の姫君』や、菊池寛『六宮姫君』など、多くの作家の題材となっています。
没落し、貧しくなりながらも待ち続けた姫君は、再会を果たした途端に永久の旅へと出発しました。夫の苦しみは、どれほどのものだったでしょう。
ところが夫は、いつまでも嘆き悲しむことはありませんでした。すぐさま出家し、仏道修行に励んでいます。この世での「愛(あい)」を捨て去り「道(みち)」に入ったのでしょうか。会う者は必ず離れる定めにあるという「会者定離(えしゃじょうり)」の理は、「苦しみの無い別れ」があることを教えてくれたのかもしれません。
お釈迦様が出家をする際に、父親に語った言葉があります。
願は我が出家・学道を聴(ゆる)し給へ。
一切衆生の愛別離苦を皆解脱せしめむや。
(『過去現在因果経』)
(お願いです。私の出家と仏道修行をお許しください。全ての人々の愛別離苦の苦しみを済いたいのです)
辛い別れの向こうには、新たな出会いが待っています。月にかかっては離れゆく浮雲を眺めながら、この世のどこかに、苦しみの無い別れが隠されているのではないか、と思いを巡らせています。
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最後までお読みくださりありがとうございました。