地元の桜並木です。
1925年(大正14年)に、当時の青年団が100本のソメイヨシノを植栽したことに始まるそうです。
これまで多くの方に親しまれてきましたが、近年では老木が目立ち、いよいよ伐採される運びとなりました。
この風景が見られるのも今年が最後です。
また数年後には若木の桜が、菜の花とともに元気に花を咲かせているでしょう。
今回の文章は、六根の「心」(意)をテーマに、信じる心について書いてみたものです。
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「法の水茎」30(2014年12月記)
今年も残り僅かとなりました。昼下がりの庭の日だまりに視線を落とせば、長く伸びた自分の影に冬の訪れを感じます。幼い頃に、影踏みをして遊んだ日々が懐かしく思い出されます。
一年は 儚き夢の 心地して 暮れぬる今日ぞ 驚かれける
(『千載集』俊宗)
(1年は束の間の夢の気持ちがして、年末の今日になってみると、あらためてハッと驚くことよ)
暮れも押し迫ると「年の瀬」という言葉を耳にします。白波を立てながら勢いよく流れる早瀬のように、時間の経過も一段と早く感じられてくるのでしょう。光陰矢のごとし――くるくると北風に舞う落ち葉を見つめても、何となく気忙しくなるものです。
真昼の影は、二十四節気の「冬至」を迎えるまで長くなります。冬至は、昼の長さが最も短く、夜の長さが最も長い日。太陽の力が弱まることから、南瓜を食べて英気を養い、柚子湯に入って身を清め、身体を温めます。厳しい冬を乗り切るための先人の知恵でしょう。
今年の冬至は12月22日。ちょうど陰暦の11月1日にも当たることから「朔旦冬至」となります。これは、19年に1度しか巡ってきません。冬至は「一陽来復」とも言われるように、この日から再び陽が増すことからお祝いをしますが、今年は新たな一章(十九年七閏)の首とも重なる「瑞祥吉日」の良い年です。これから19年、私たちにどのような未来が待っているのでしょうか。
高尾山薬王院では、21日の夕方から22日の早朝にかけて「星まつり祈祷会」という法会が営まれます。1年で最も長い闇夜に、人々の災いを除き、福を与えることを願って、僧侶は夜を徹して祈り明かします。
冬至を過ぎると、新年の準備を済ませて大晦日を迎えます。「除夜の鐘」を聴きながら「年越し蕎麦」を食べるという方も多いことでしょう。「除夜」とは「除日の夜」を略したもので「旧年を除く日の夜」という意味です。旧年と新年をまたぐ夜に、寺々では108回の除夜の鐘が撞かれ、この1年を無事に過ごせたことへの感謝と、新しい年の無病息災を心静かに祈ります。
この108とは、ご存じのように人間の煩悩(迷いの心)の数を表しています。念珠(数珠)の珠の数も、基本的に108個ですが、きっちりと糸で一連に結ばれているように、心の闇を解きほぐすことは容易なことではありません。除夜の鐘の音に導かれながら、雑念(余計な考え)を追い払うことができればと念じます。
鎌倉時代の飛鳥井雅有(1241~1301)という歌人は、大晦日の日に、過ぎ去った1年の日数に合わせて罪悪を消滅させる光明真言(唱えると罪が除かれ、福が得られる言葉)を読み、来る新年の日数に合わせて『般若心経』を読誦しました(『春の深山路』)。大晦日は、精進(仏道修行に励むこと)の日でもあるのです。
平安時代には、このような僧侶もいたようです。
今は昔、日頃から極楽往生を熱心に願っていた聖人がいました。12月の大晦日の夜、召し使っている1人の童子に「今日のうちに必ず極楽に来るように」と書いた手紙を預け、次のように言い聞かせます。「この書状を持って、明日、元日の朝に門を叩きなさい。私が『どなたですか』と聞いたら、『極楽からの阿弥陀仏のお使いです。このお手紙を差し上げます』と言うのだぞ」と話すと、聖人は寝てしまいます。
さて夜が明け、童子は教えのように門を叩いて、約束通りの言葉を語ります。すると聖人は、大慌てに裸足のまま出てきて書状を受け取り、感激のあまりに読みながらほろほろと涙を流します。これは毎年の恒例行事だったので、阿弥陀仏の使いの役の童子も、よく慣れていたのでした(『今昔物語集』など)。
笑い話でもありますが、聖人は寝ても覚めても極楽往生を心に懸けていたのでしょう。一途に精進する姿には、見習うべきところもあるように思います。
道場夜半にして 香花冷まじ
猶灯の前に在って 仏名を礼す
(『新撰朗詠集』「仏名付除夜」)
(道場は真夜中を迎え、仏前に供える香と花が寒々としている。私はずっと灯明の前に座って、御仏の名を唱え続けている)
影と影は、近づくと互いに引き合う性質を持っています。心を清めて一心に祈れば、ロウソクの炎に照らし出された自分の影が、いつしか仏様の優しい影と重なり合っていることでしょう。
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最後までお読みくださりありがとうございました。