坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「道」のお話②~ 成道会、お釈迦様の「恩徳の名残」を探し求めて ~ 「法の水茎」102

玄関先の万両が色鮮やかです。

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葉っぱのお屋根が、冷たい霜から守ってくれるのでしょうか。
今さらながら、葉っぱの下に実があるのが万両、上にあるのが千両なのですね。

昨日、『髙尾山報』12月号が届きました。
中には、「髙尾山薬王院 御守・縁起物一覧表」も入っていました。

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いろいろな種類がありますね。
交通安全の紅葉のお守りは馴染みがあります。

さて、今月の私の文章も「道」がテーマです。
お釈迦様が悟りを開かれた「成道」をめぐって、第六天の魔王との戦いについて書いてみました。お読みいただけますと幸いです。

 

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「法の水茎」102(2020年12月号)




  唐錦枝にひとむら残れるは

   秋の形見を絶たぬなりけり

       (『拾遺集』僧正遍昭)

(唐織りの錦のように美しい紅葉が、枝にひとかたまり残っているのは、秋の形見を絶やさないということであったよ)

 冬枯れの小道を歩いていると、色づいた葉っぱが枝先に残っているのを目にします。散りゆく時機を逸してしまったのでしょうか、それはまるで秋との別れを諦めきれずに揺れている心のようです。夏が近づけば「春の名残」を求めてしまうように、真冬の訪れを前にして「秋の名残」を探してしまうのでしょう。見つける度に、足早に過ぎ去ってしまった秋の記憶が蘇ります。

 12月に入ると、二十四節気の「大雪(たいせつ)」を迎えます(今年は12月7日)。その名の通り、雪が激しく降り積もる頃となり、寒さもいっそう厳しくなってきます。次の節気となる「冬至(とうじ)」(今年は21日)までの2週間は、昼間の長さもどんどん短くなっていきます。

 毎年12月8日には、お寺で「成道会(じょうどうえ)」という行事が営まれます。「成道」とは、「道を完成し、悟りを開いて仏と成る」ことで、「成仏(じょうぶつ)」と同じ意味です。この日全国の寺々では、お釈迦様が悟りを開いて成仏されたことを記念して「成道会」を執り行います。この「成道会」は、お釈迦様が誕生された4月8日の「灌仏会(かんぶつえ)」(降誕会(ごうたんえ)・花祭(はなまつり))と、お釈迦様が入滅(にゅうめつ)(亡くなること)された2月15日の涅槃会(ねはんえ)(常楽会(じょうらくえ))と並んで、とても大切な法会の一つとなっています。

 「八相成道(はっそうじょうどう)」という仏教語があります。お釈迦様の80年間にわたる御生涯を、八種の相(すがた)に分けたものです。それは、①降兜率(ごうとそつ)(兜率天(とそつてん)から下ったこと)、②託胎(たくたい)(母胎に入ったこと)、③降誕(ごうたん)(母胎から出生したこと)、④出家(俗世を捨て仏道修行に入ったこと)、⑤降魔(ごうま)(菩提樹下(ぼだいじゅか)で悪魔を降伏させたこと)、⑥成道(悟りを得たこと)、⑦転法輪(てんぽうりん)(説法・教化したこと)、⑧入滅(にゅうめつ)(涅槃(ねはん)(悟り)に入ったこと)の八大事で、中でも「成道」が中心となっています。

 お釈迦様は、35歳の時に悟りを開かれました。それは、菩提樹の下での禅定(ぜんじょう)(瞑想)の修行中に、悪魔の誘いを退けて得られたものでした。その時の様子は『過去現在因果経』といった仏伝(ぶつでん)(釈尊の伝記)の書物に語られていますが、日本の『今昔物語集』にも次のように見ることができます。

 今となっては昔のこと。お釈迦様は菩提樹の下で瞑想し、草の上で結跏趺坐(けっかふざ)(両足を組んで座ること)をしていました。そして「もし悟りを開かなかったら、この座を立つことはない」と誓うのでした。

 すると、これを聞いていた第六天(だいろくてん)の魔王が息子に語ります。「もし彼が成道してしまったら、私よりも高みに到達してしまう。なんとか邪魔をしたい」と。息子は「どうか悪を作り咎(とが)(過ち)を受けるようなことは止めてください」と諫めるのでした。

 しかし、魔王は心を抑えることができませんでした。3人の娘を使って色仕掛けを試みたり、自らが赴いて悪の道に引き込もうと誘惑したりしましたが、お釈迦様は全く誘いに乗りません。

 そこで魔王は、数多の軍勢を集めて力ずくで攻め込むことを決意します。あらゆる武器を持って襲いかかりますが、結局、お釈迦様の一毛(いちもう)をも動かすことができませんでした。

 その時、空中に現れた神が言い放ちました。「魔衆よ、毒心(どくしん)を起こし怨心(おんしん)を成すことなかれ」と。魔はこの言葉を聞いて恥じ、驕(おご)りや妬(ねた)みの心を止めて、もとの天宮へと帰っていったのでした。

          (『今昔物語集』巻一)

 魔王の悪心(敵意)は、嫉妬や闘争といった「修羅心(しゅらごころ)」を引き起こしたのでしょう。せっかく父親思いの息子が忠告したにもかかわらず、悪を作っては苦を受けるという「悪因悪果(あくいんあっか)」(悪い原因には悪い結果が伴うこと)の悪行に走って行ってしまいました。

 ただ、自分の利益だけを望んだ「魔王にとっての方便(ほうべん)」(策略)も、お釈迦様には通用しませんでした。お釈迦様の大いなる慈悲心(じひしん)(慈しみ恵む心)は、何事にも動じることのない堅固なものであり、さらには悪心の炎を打ち消すような清浄なものとして成道(完成)していたのです。

  降りにける雪のみ山は跡もなし

   誰踏み分けて道を知るらむ

          (『風雅集』法源)

(雪が降り積もった深山には足跡もない。いったい誰が踏み分けて、仏道修行の道を知ることになるのだろう)

 これは、お釈迦様が前世で雪山童子(せっせんどうじ)という名で修行していたときの故事を思って詠んだ歌です。遙か昔に過ぎ去った出来事だからこそ、お釈迦様の「恩徳の名残」を探し求めてしまうのでしょうか。道なき雪の中を突き進まれた仏さまの足跡(そくせき)を慕いつつ、そこに自分の足跡(あしあと)を重ねて行ければと思います。


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最後までお読みくださりありがとうございました。