坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「味わい」のお話②~醍醐味、揺らぐことのない成熟した心根~「法の水茎」31

ツツジも咲き始めています。

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ツツジ

春風に揺れながら、つぼみが日に日にふくらんでいます。


今回の文章は、六根の「舌」をテーマに、民話「笠地蔵」に登場する仲睦まじいご夫婦の味わいについて書いてみたものです。


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「法の水茎」31(2015年1月記)



  新しき 年の始に かくしこそ 千年をかねて 楽しきを積め
                     (『古今和歌集』)
(新しい年の初めに、このように千年の幸せを思い描いて、楽しいことを積み重ねましょう)

 陰暦1月は「睦月」とも呼ばれます。「睦」には「仲良く親しみ合う」という意味があるように、お正月には松飾りをして歳神様をお迎えし、全ての人が心を同じくして、この1年の健康と幸せを祈ります。

 歌の中の「楽しきを積め」の「楽しき」という言葉には、「楽し木」という樹木の意味も響かせています。楽しいことを日々積み重ねることは、自分の心に「幸せの薪」を少しずつ積み上げていくことでもあるのでしょう。

 高尾山薬王院においては、元旦の午前零時を合図に、大山隆玄御貫首大導師のもと「新年特別開帳大護摩供」が執り行われます。大晦日の静けさは一変し、まさに帳が開くように、お堂は僧侶による読経の声で満ちあふれ、一山は仏様の光明によって普く照らし出されます。僧侶と信者の皆様とが心一つに手を合わせ、世界平和や五穀豊穣、無病息災などの祈りを捧げます。

 鎌倉時代末期に生きた兼好法師(1218頃~1352以後)は、新年の様子について「暮れの昨日と変わりなく見えるけれど、今日は打って変わって清々しい気持ちになる。大通りでは門松を飾って、華やかに喜ばしい感じなのは趣深いものがある」と語っています(『徒然草』第19段)。月日は同じように流れ去りますが、新年を節目として気持ちを引き締め、ご先祖様に感謝しながら新たな第一歩を踏み出そうとする思いは、遙か昔から変わることがありません。

 この時季の話として「笠地蔵」という民話があります。有名ですのでご存じの方も多いでしょうが、おおよそ次のようなお話です。

 ある雪深い地方に、貧しい老夫婦が住んでいました。年の瀬が迫っても、新年を迎えるための餅すら買うことのできない有様でした。そこでお爺さんは、手作りの笠を売りに町へ出かけますが一つも売れません。

 肩を落して、吹雪の中の帰り道のこと。お爺さんは雪に埋もれて寒そうにしているお地蔵様を見かけます。心を痛めたお爺さんは、売れ残った笠を全てお地蔵様に被せて家に帰ったのでした。そのことを聞いたお婆さんは、「それは善い行いをしましたね」と言って、餅が手に入らなかったことを責めませんでした。

 さてその夜、寝ていると家の外で物音が聞こえてきます。何のことかと起きて見てみると、そこには年越しのお米や餅、野菜や魚などの食べ物、小判などの宝物が山と積まれていました。

 遠くを見やると、笠を被ったお地蔵様が、雪の降る中、何も言わずに背を向けて去って行きます。夫婦は、お地蔵様からの贈り物によって、良い新年を迎えることができたのでした。
                       (民話「笠地蔵」)

 ここに登場する夫婦は、心の中は貧しくはありませんでした。苦しいながらも、数多くの善根(幸せを招く行い)を積み重ねてきたのでしょう。村はずれのお地蔵様は、その姿をずっと見守っていたからこそ、その証を贈り届けてくれたのではないでしょうか。この「笠地蔵」の話には、善い行いをすれば善い果報(幸せ)が得られるという教えとともに、長年にわたって信心を育むことの大切さも諭しているように思われます。

  物皆は 新しき良し ただしくも 人は古りにし 宜しかるべし
                        (『万葉集』)
(物は皆、新しいのが良い。ただし、人だけは年を経たのが良いのだろう)

 仏様の微妙で奥深い教えは、「甘露」「法味」「醍醐味」と言うように、食べ物の美味しさにも喩えられます。仏様の尊い教えは、年齢を重ねるにつれて味わい深くなっていくものなのかもしれません。

  仏法に最上醍醐味と言へる、
  いかにも練れる心を言ふなるべし。
       (心敬『ささめごと』)

 「練れる心」とは、多くの経験や修行を積みながら「心豊かな人柄」となることを意味します。「笠地蔵」の仲睦まじいご夫婦のように、揺らぐことのない成熟した心根(不動心)によってこそ、確かな幸せを得ることができるのでしょう。

 冒頭に挙げた和歌にある「楽しい」と似た言葉に「嬉しい」があります。「嬉しい」は、その場で受ける快楽なのに対して、「楽しい」は、行動によって満ち足りた状態が続くことを表します。日頃感じているのは、どのような心地良さでしょうか。

  現在の甘露は
  未来の鉄丸なり
    (『日本霊異記』)
(目先の快楽は、将来に苦しみの種となる)
という言葉を戒めとしながら、崩れることのない「楽しき薪」を積み上げ、本当の「快楽」を味わうことができればと、年の初めに決意を新たにします。


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最後までお読みくださりありがとうございました。