元気な鶯の声で目覚めるのは心地良いものです。
毎朝散歩していると、日に日に春の息吹が感じられます。
鳥の囀りや草木のほころび…自然を間近に感じられるのは、田舎暮らしの良いところでしょうか。
今回は、六根の「眼」をテーマに、仏さまの慈愛の眼について書いてみたものです。
数年前の4月の文章です。
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「法の水茎」22(2014年4月記)
天の下 芽ぐむ草木の 目もはるに 限りも知らぬ 御代の末々
(『新古今集』式子内親王)
(日本全国、春の恵みの雨によって芽ぐんだ草木が、見渡せないほど果てしなく広がっている。このように私たちが住んでいる世の中も、限りなく続いていくことでしょう)
一雨ごとに、山川草木の喜びが感じられる季節となりました。高尾山の「春のお山」も輝きを増し、講中の皆々様をはじめとするお山に集う方々によって、ひときわ賑わいを見せていることでしょう。
これまで何ヶ月かにわたって、微笑みを大切にする「喜び」の話や、修行者の涙を伝える「哀しみ」の話、不動明王の力強い「怒り」の話や、仏様の安らかな世界を語る「楽)」の話など、人間の「喜怒哀楽」にまつわる話を取り上げてきました。
「楽あれば苦あり」という言葉があるように、毎日を楽しく過ごしたいと願っていても、さまざまな悩み事によって辛くなったり寂しくなったり……とっさに怒ってしまうこともしばしば。人間の「喜び」や「楽しみ」の近くには、いつも「怒り」「哀しみ」の感情が隠れ潜んでいるようです。
「目は口ほどに物を言う」という諺があります。感情を押し殺すように何も話さなくても、その眼差しによって、自分の気持ちは相手にも伝わってしまうものです。喜怒哀楽が強く表れるのは「目」と言われますが、楽しい時には喜びを、怒っている時には苛立ちを、知らず知らずのうちに周りに投げかけているのかもしれません。不安や心配事を取り除いて、心を穏やかに保つことは、自分のためでもあり、相手のためでもあるのでしょう。
仏教では、心も身体も清らかになることを「六根清浄」と言います。「慚愧懺悔 六根清浄」と唱えながら、山々を巡り歩く山伏の姿を思い起こされる方もおられるのではないでしょうか。「六根」とは、人間の心に働きかける器官のことで、眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、身(触覚)、意(意識)の6つを意味し、その第一番目に「眼」が挙げられています。
「眼」をめぐる清らかな行い(浄行)に、次のような話があります。
昔、奈良の里中に目の見えない女性がいました。夫を亡くし、7歳になる一人娘とともに貧しい生活を送っていました。それは空腹のために倒れる寸前の状態でした。
女性は思います。「このようになるのは前世からの因縁でしょうか。むなしく餓死するよりは、善い行いをして、心から仏様をお祈りしよう」と。
女性は娘に手を引かせ、里にある薬師堂に向かいました。薬師如来を願って言うには、「私の命を惜しむのではありません。我が子の命を惜しむのです。私が倒れたら、おそらく子供の命も終わるでしょう。どうか私に「眼」を与えてください」。
お参りをして2日後のこと。娘は薬師如来の木像の胸から、桃の汁のような物が垂れているのに気づきます。母に告げると、「取って、私の口に入れておくれ」と言い付けたのでした。
女性はさっそく口に含みます。「とても甘くて美味しい……」と思ったその時、直ちに2つの目が開き、はじめての光が差し込んだのでした。
(景戒『日本霊異記』)
女性は娘のために祈りを捧げました。貧しく食欲が満たされない中でも、心は飢えてはいなかったのでしょう。「相手を思い遣る」という「心の眼」(心眼)は、しっかりと見開いていたのです。
私たち肉体に備わっている眼を「肉眼」と呼び、仏様の眼を「仏眼」と称します。肉眼は表面的なものだけを見るのに対して、仏眼は全てを見通していると言います。真心から祈った女性の心眼は、きっと仏様の眼にしっかりと映っていたことでしょう。
目が見えるようになった女性は、
定めて知る、心を至して発願すれば、
願として得ずといふこと無きことを。
(はっきりと分かった。真心を持って願を立てれば、遂げられない願いはないということを)
と語っています。おそらく仏様は、女性の肉眼を清め加持することによって、女性に「仏の眼」(仏眼)を開かせたのではないでしょうか。光を得た女性の眼は、さぞかしキラキラと光り輝いていたことでしょう。
慈悲の眼は鮮やかに 蓮の如くぞ 開けたる
智恵の光は夜々に 朝日の如く明らかに
(『梁塵秘抄』)
(仏の慈悲の眼は、青蓮華のように鮮やかに開いている。仏の智恵の光は、無明長夜の闇夜を朝日のように明るく照らし出している)
高尾山には薬師如来もお祀りされています。これまでも、これからも数多の願いを叶え続けることでしょう。「苦あれば楽あり」。寒さに耐えた春の恵みに触れた時、仏様の果てしない慈愛に満ちた優しい眼を観じるのです。
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最後までお読みくださりありがとうございました。