坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「哀しみ」のお話②~山伏の揺るぎない道心、聖なる心~「法の水茎」17

日本列島は季節はずれの寒気にさらされています。

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不動明王


お地蔵さんのように見えて。。。不動明王ですね。
寒さにも動じない、凜としたお姿です。

今回の文章は「哀しみ」をテーマに、山伏の涙の意味について書いたものです。


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「法の水茎」17(2013年11月記)


恋しくは 見てもしのばむ もみぢ葉を 吹きな散らしそ 山おろしの風                                                                 (『古今集』よみ人しらず)

(恋しくなったら、この目で紅葉を味わいましょう。だから散らさないでほしい。吹き下ろす嵐よ)
 朱色に黄色に緑青色……晩秋の高尾山は、色づいた紅葉の重なりに彩られます。透き通った小川の水面を見れば、散り敷(し)いた紅葉が錦を織り成したように見えることでしょう。束の間の秋の晴れ姿を、実際に肌で感じてみてはいかがでしょうか。
 この11月、高尾山薬王院では「峰中修行会」(今年は23・24日の2日間)が執り行われます。いつもの行楽気分とは一転、回峰行(山中を経巡る修行)や滝修行などを行います。参加される信徒(お寺に縁のある方々)の皆さまには頭が下がる思いです。
 仏道修行のために山野で生活する行者のことを「山伏」と言います。日本各地の霊山で修行を積み、霊験あらたかな力を身に付けていたことから「修験者」とも称されました。
 山伏の装束(服装)は、高尾山に祀(まつ)られる天狗様のように、頭に頭巾と呼ばれる小さな帽子のようなものを付けています。手には錫杖(杖)を持ち、結袈裟(不動袈裟)と、露を防ぐ篠懸(麻の衣)を身に纏って山野を巡り歩きます。<br /><br /> 一年中、自然と共に生活している山伏は、日頃から季節の移ろいを敏感に感じ取っていました。とりわけ秋から冬にかけての時期は、冷気が身にしみたことでしょう。平安時代の終わり頃の流行歌に、このようなものがあります。

  冬は山伏修行せし、庵と頼めし木の葉も紅葉して、
  散り果てて、空寂し、褥と思ひし苔にも初霜雪降り積みて、
  岩間に流れ来し水も、氷しにけり
                       (『梁塵秘抄』)                                                   
(冬に山伏修行をしたとき、庵(仮住まい)と頼みにさせた木々の葉も紅葉し、すっかり散り果てて物寂しくなった。寝床と思っていたふっくらとした苔にも初霜や粉雪が降り積もって、岩間の水の流れも氷に閉ざされてしまった)
 旧暦11月は、「霜月」「霜降月」「霜見月」「雪待月」という異名も持ち合わせています。山深く分け入り、動植物を友として、山の芋や沢田の根芹などの恵みによって生かされていた山伏にとって、秋の末の風景はどのように映っていたのでしょう。私のような者だったら、冬の到来を目前にして悩ましい気持ちに沈んでいたかもしれません。山伏は、なぜ敢えて辛い所に身を置くのでしょうか。
 前号でも取り上げた西行法師(1118~1190)は、かねてから大峰山で山岳修行を行いたいという強い志を持っていました。ただ、未熟な自分には無理ではないかと思い悩み、ずっと決心できずに過ごしていました。それを行宗という先達(先導者)が聞きつけました。行宗は西行に向かって「何も苦しいことはない。結縁(良縁)のためには、そのままで問題ないのだ」と語ります。西行はその言葉に悦び、すぐさま山伏の装束に着替えて山に入っていきました。
 すると行宗は、先のように言っていたのに礼法を厳しくし、他の人よりも特に痛めつけたのです。西行は涙を流しながら「もともと私は名誉も利欲も好まず、ただ仏との結縁のためにと思っているのに、このような責め苦を受けるのは本当に悔しい」とさめざめと語ります。
 行宗は、西行を呼んで諭しました。「お前は道心(仏道を目指す心)が定まっており、特別な者と思ったからこそ修行を許したのだ。身を苦しめるのは地獄の苦痛を償うことであり、餓えを忍ぶのは餓鬼の哀しみに報いること、重い荷物を担ぐのは畜生の報を果たすことなのである」と(『古今著聞集)』「西行法師大峰に入り難行苦行の事」)。
 行宗は、「終日身を苦しめ、罪を懺悔(罪を神仏に打ち明けて許しを願うこと)して、早く穢れや悩み事のない世界に入るように」と説き示しました。これは師から弟子への口伝(奥義)と言えるでしょう。行宗もまた、遙か昔に学んだ大先達からの教えを胸に刻み、日夜修行に励んでいたのかもしれません。
 山伏が詠んだ歌に次のようなものがあります。

  山伏の 頼む木のもと 時雨して 涙止まらぬ 冬は来にけり
                        (『為忠家初度百首』)                                               
  (山伏が頼りとする木の下にも時雨が降りかかって、私も同じように涙の雨が止まらない。冬がやって来たのだ)
 山伏と聞くと、滝行や火渡りなど荒々しい印象を抱きがちですが、冷たい時雨とともに心の中も時雨れてしまうという繊細さも持ち合わせています。
 この山伏の止めどない涙は、単なる寂しさから来るものだけではないでしょう。先ほどの大峰修行の話にもあったように、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみに慈悲の心を投げ掛け、自らもそれに報いようとする堅固な涙でもあったと思うのです。

  慚愧懺悔 六根清浄

 山伏のような揺るぎない道心を「山伏心」(聖心)と言います。燃えるような紅葉に神仏の光を観、川のせせらぎに山伏の涙を観じることができたなら、私たちの心の中にも、きっと確かな道心が芽生えていることでしょう。

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