坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「哀しみ」のお話①~心の揺ぎを感じる、『万葉集』の秋の七草~「法の水茎」16

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いよいよ4月に入りました。

農家の皆さんも、田おこしから代かきへと忙しい時期を迎えています。

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一面のスイセン

お寺のお墓の隅には、一面にスイセンが咲いています。

3年前に亡くなった父が、一株一株、植えたものです。

今年もキレイに咲いてくれました。

今回の文章は「哀しみ」をテーマに、心を研ぎ澄ませて、自心を見つめることの大切さについて書いたものです。

 
    ※      ※

「法の水茎」16(2013年10月記)


  秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花
  萩の花 尾花葛花 なでしこが花
  をみなえし また藤袴 朝顔が花
                    (『万葉集』山上憶良)
(秋の野に咲いている花を、指折り数えてみると七種の花。萩・薄(尾花)・葛・撫子・女郎花・藤袴・朝顔(桔梗))

 秋の七草の由来とされる歌です。花野に咲いている可憐な花々に出会うと秋の訪れを実感します。また、今年の厳しかった夏をどのように乗り切ったのかと、花たちにそっと問いかけてみたくもなります。

 真言宗智山派の宗紋(家紋)は桔梗紋、高尾山薬王院の寺紋は三つ紅葉(三つ楓)紋。ともに秋に縁ある植物が用いられています。総本山智積院の参道には桔梗の花が色彩を加え、高尾山には紅葉が錦のように艶やかな姿を見せてくれます。お寺を散策すれば、きっと秋色に彩られた穏やかな光を感じることができるでしょう。

 好きな季節はいつですか?と尋ねてみると、やはり春と秋を挙げる方が多いようです。暑さ寒さが和らいだ過ごしやすい気候も理由の一つでしょう。古くからの和歌集の部立(分類)を見ても、春と秋の情景を詠った歌が数多く見られます。

 漢詩の中にも、秋の風景は読まれています。弘法大師空海(774~835)の漢詩を集めた『性霊集』には、仲継(中継・?~834)という高僧の詩が残されています。

  秋の風颯颯として黄葉を飄へす
  桂月は団団として白露に泣く
  虫の響き悲哀して草の間に愍ぶ
  雁の声断続して天路に疎かなり
            (『続性霊集補闕鈔』第10)
(秋の風が色づいた葉っぱをヒラヒラとひらめかせ、月は真ん丸として涙のような白露に影(光)をとどめている。虫の音悲しそうに草むらの中で哀れを誘い出し、雁の声は途切れ途切れに天上の路を疎らに飛び去っていく)

 千年以上前の秋景色が、まるで目の前に広がっているかのようです。夏と冬とが重なる秋は、しっとりとした落ち着きを感じさせるとともに、次の季節を急ぐ慌ただしさも持ち合わせています。短い秋の装いは、物思いに耽る心の揺ぎをも引き起こすものなのでしょう。

 さて、平安時代の終わり頃、若き西行法師(1118~1190)は、東国への修行の旅に出かけました。秋の夜の月に誘われて、武蔵国(現在の東京都・埼玉県のあたり)に分け入ったときのこと。辺りは薄(尾花)の穗の露に月光が宿り、サッと秋風に散った露が玉のようにキラキラと光り輝いていました。小さい萩の根元には、物寂しそうに秋の虫が鳴き交わしています。

 少し歩み行くと、どこからともなくお経を読誦(声を出して経文を読むこと)する声が聞こえてきました。西行は「人里はこの先の遥か遠いところと聞いていたのに変だな」と思い、声を頼りにさらに深く入り込みます。

 すると、小さな庵が現れました。屋根を葛の葉や刈萱で葺き、萩や女郎花などいろいろな秋の草花で周りを囲っています。東の寝床らしきところには蕨を敷き、西の壁には普賢菩薩の絵像を掛け、その前には『法華経』8巻が置いてありました。

 庭は千草の花が露によって傾き、虫の声も他の場所と違って身に染みて、人のやって来る道も草に埋もれて無くなっていました。

 庵の中を見てみると、90何歳かと思われる髪も眉も真っ白な老僧が、

   在於閑処、修摂其心

と『法華経』の経文を読み上げていたのでした(『西行物語』)。

 うら若い西行と、60年以上も修行を積んだ聖(隠者)との出会いを描いた場面です。武蔵野の隠者は、花に囲まれた草庵の中で仏道修行に励んでいました。ちなみに、仏様の絵を描いてお経を置き、寝る場所に蕨を敷く様子などは、鴨長明(1155?~1216)の『方丈記』とそっくりです。『法華経』安楽行品の「閑かなる処に在って、其の心を修摂す」(静かな場所で、自分の心を整えよ)という経文をお唱えしていることからも、悩み多き俗世間を離れ、自然の移ろいを感じながら心を研ぎ澄ませる隠者の姿(系譜)を見ることができるでしょう。

 日々の生活の中で、少しずつ仏様の心を育んできた先達(その道の先輩)との出会いに感激した西行は、

  いかでわれ 清く曇らぬ 身となりて 心の月の 影を磨かん
(私も何とかして清く迷いのない身となって、心の中の月(真如の月)を磨くことにしよう)
と歌を詠み、自らの心を奮い立たせたのでした。

 秋は、心を見つめるのに絶好の季節です。旧暦の10月は「神無月」とも言いますが、私たちの周りには、神仏の教えが充ち満ちています。

 今年の十三夜は10月17日。多くの先人も見上げた月が、変わらず煌々と照り輝き、夜露に濡れた秋草や虫たちの表情を照らし出していることでしょう。浄らかな月に仏様のお顔を観れば、私たちの身体にも優しい光を降り注いでくれるでしょうか。

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最後までお読みくださりありがとうございます。

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