霜が降りた日の午前中。
色づいた葉っぱをお屋根にして、猫が丸まっていました。
いつも見かける猫ですね。
風よけになるのでしょうか。風邪を引きませんように……
今月の私の文章は「道」がテーマです。
来る日も来る日も両親に尽くした、お釈迦様の前世の姿について書いてみました。お読みいただけますと幸いです。
※ ※
「法の水茎」101(2020年11月号)
春はただ花のひとへに咲くばかり
もののあはれは秋ぞまされる
(『拾遺集』よみ人しらず)
(春は花がひたすら咲くだけだ。心にしみる趣は秋のほうがすぐれているよ)
春は色とりどりの草花が咲き誇っていた山野も、今は赤や黄色に色づいています。秋風に誘われて山に分け入れば、いつしか私たちの心も身体も「紅葉の衣」を纏っているでしょうか。
冒頭の和歌に見られる「もののあわれ」とは、自然のありのままの姿に触れたときに起こる感動です。とりわけ秋は「悲秋」という言葉があるように、人間にはどうすることもできない自然の推移に物悲しさを覚える折節でもあります。くるくると翻りつつ舞い散る木の葉に、秋から冬へと足早に向かう時の移ろいを実感します。
踏み分けて更にやとはむもみぢ葉の
ふり隠してし道と見ながら
(『古今集』よみ人しらず)
(あでやかな紅葉の道を踏み分けて、わざわざお訪ねしましょうか。落葉して目立たぬように隠している道だと思いながらも)
散り敷いた紅葉は、まるで錦の絨毯のように光り輝いていたでしょう。いつもは往来のある道にも、すっかり落ち葉が覆い被さっています。人目につかない晩秋の庵で、主は、どのような「もののあわれ」を感じているのでしょうか。
「山里の道」と聞くと、仏道修行のために山里の寺などに入る「仏の道」(仏道)も思い起こされます。「仏の道」は「法(のり)の道」とも言われるもので、始めは紅葉に隠れた道のように朧気ですが、「仏様が説いた教え」を一歩一歩踏み分け登ることにより開けてくる「悟りに至る修行の道」でもあります。
庵の主は、敢えて憂き世から離れ、山深い自然の中に身を置いていたのかもしれません。「山林斗藪(さんりんとそう)」(山野に生活し、不自由に堪え忍びながら仏道修行に励むこと)という仏教語もありますが、心を研ぎ澄ませた「仏の道」を一人歩んでいたことも想像されます。
では「仏の道」とは、具体的にどのような道なのでしょうか。そのことを教えてくれるお話として次のようなものがあります。
昔、迦夷羅国(かいらこく)(現在のネパールの一部)に長者がいました。夫婦とも年老いて、目が見えなくなっていました。
夫婦には、施无(せむ)という一人息子がいました。いつも善行を心がけ、真心を持って両親を世話していました。
夫婦は、日頃から深山に入って「仏の道」を行いたいという願いを持っていましたが、息子を置いて別れるのを悲しく思い、それを実行することもなく空しく年月を送っていました。
ある時、施无は父母に語りかけます。「どうして私を気遣うのですか。この世は無常(この世の全ては移り変わること)で、人の命もとどまりません。私も一緒に参りますので、どうか仏道修行の志を遂げてください」と。
その言葉に父母は喜び、すぐさま山奥に入り草庵(粗末な家)を結びました。そして、滝の水を汲み、山の木の実を求める生活を始めたのでした。
施无は、朝には木の実を取って親に与え、夜には必ず三度起きて親の無事を確認しました。たった一人で何年も父母を養う施无の深い慈しみの心には、慣れ親しんでいた鳥獣たちも感動の涙を流すほどでした。
(『三宝絵』上)
ここに登場する息子の施无とは、お釈迦様の前世のお姿です。両親の「仏の道」を扶けるために、施无は来る日も来る日も献身的に尽くしました。それは決して貧しい生活ではなく、温かくも心豊かな日々だったでしょう。見返りを求めない施无の「孝養の道」は、いつしか慈しみの心(楽しみを与える情け深い心)を育むという「仏の道」とつながっていました。積み重ねる施の行いが、親の恩と結ばれて、未来の仏と成る種(要因)となっていたのです。
釈尊の昔の行ひ
尊きかな、
悲しきかな。
(『三宝絵』上)
(お釈迦様の前世での施行(施しの行)が身にしみて、ありがたいことよ、胸を打たれることよ)
「道」は「未知」にも通じます。紅葉狩りに出かけるように、まだ見ぬ幸せを求めて、自分の心の奥にも分け入ってみてはいかがでしょうか。繰り返し道を尋ねれば、今までは知らなかった一本の「安心(あんじん)の道」(不動の道)が、きっと見えてくるはずです。
※ ※
最後までお読みくださりありがとうございました。