坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「火」のお話②~月の兎伝説とは~「法の水茎」8

スポンサーリンク

お寺からは、広々とした田畑が一望です。 

f:id:mizu-kuki:20190323220835j:plain

高台からの眺め

今日は春のお彼岸最終日。
これから農作業が忙しくなります。

今日の文章は、「火」をテーマに、お釈迦様の前世をめぐって書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」8(2013年2月記)


 お釈迦様が横たわる姿に香華を供え、暗闇を照らす灯明を捧げます。旧暦の2月15日は、お釈迦様が入滅(仏が亡くなること)なされた日。この日、多くの寺ではお釈迦様の恩徳を偲ぶ「涅槃会」(常楽会)が執り行われ、荘厳な読経の声が堂内に響き渡ります。

 「涅槃」とはもともと、煩悩の火を吹き消し「迷いが無くなった状態」を指します。それはやがて、悟りを完成したお釈迦様の入滅そのものを意味するようになりました。

    仏の涅槃を思ひて詠める 
  古の 春の半ばを 思ひ出でて 心に曇る 夜半の月影
                         (『玉葉集』従三位泰光)
 (お釈迦様が亡くなられた、仲の春(仲春)を思い起こして、切なくなるなあ。今宵の満月の光よ)

 仏の教えを信じる人々は、全てお釈迦様の教え子です。涅槃会を聴聞すれば、日頃の罪業(悪い結果を生む行い)が消え去るとも言われます。涅槃の場にこの身を置き、あらためて法の灯を強く胸に灯します。

 お釈迦様は、29歳で出家し、35歳で悟りを開き(成道)、80歳で入滅したと伝えられています。多くの善業(良い行い)を積んだ生涯でしたが、それは人間として生を受けた数十年の間だけではなく、前世(過去世)から積み上げたものでした。その結果、悟りを完成する「涅槃」の境地へ至ることができたのです。

 先ほどの歌では、月の光を浴びながら、お釈迦様に想いを寄せていました。「月」といえば、入滅の場面を描いた「仏涅槃図」にも多く満月が描かれています。これは、よく月の模様として取り上げられる動物と、お釈迦様との深いつながりがあることを意味しています。

 お釈迦様は、前世(人間として誕生するずっと前)に、兎としてこの世に生を受けたことがありました。その時の菩薩(悟りを求めて修行する人)の行いとして、次のような話が残ります。

 今は昔、天竺(インド)に兎と狐と猿の三匹が「誠の心」(心から仏道を求める心)を起こして修行に励んでいました。自分のことよりも他人の幸せを願う行い(利他行)は、とても立派なものでした。

 その様子を、帝釈天が見ていました。帝釈天は彼らを試そうと、老人に姿を変えて食べ物を求めます。すると猿は野山に行って果物や野菜を集め、狐は墓に供えられていた飯や魚を手に入れて持ち帰りました。

 ところが兎は、必死になって東奔西走したけれども何も見つけることができません。途方に暮れた兎は、猿と狐に火を焚くように頼みます。何も求めることができなかった兎に、猿と狐が軽蔑の言葉を投げかけたとき、兎は力強く「私を焼いて食べてください」と言うやいなや、燃えさかる火中に身を躍らせながら飛び込み、焼け死んだのでした……。

 その時、帝釈天はもとの姿に戻り、この兎の行動を多くの人に見てもらうため、兎の姿を月に移しました。全ての人は月を眺めるごとに、この兎のことを思い出さなければならないのです。                  (『今昔物語集』など)

 出家をすることを「身を捨てる」と言い、この身を他のために投げ出すことを「捨身」と言います。自らの非力さを自覚しながらも、最期まで力いっぱい燃え尽きた兎の言動は、究極の捨身の菩薩行と言えるでしょう。時折、月の表面が霞んで見えるのは、兎が火に焼かれた煙と言われます。今でも私たちに、他人の幸福を願うことの大切さを教えてくれているのです。

 火の中に身を投じると言えば、修験者が行う「火渡り」もその一つでしょう。高尾山薬王院では、毎年三月の第二日曜日に「高尾山火渡り祭」が執り行われ、世界平和が祈られます。火渡りでは、まず山伏姿の修験者が火の上を踏みしめ、先達(導く人)に続いて、修行中の小僧さんたちも足早に渡ります。その後、有縁(仏に縁のあること)の方々も手を合わせ、仏を観じ、お経を唱えながら後に続きます。

 その光景を目の当たりにすると、時に胸や目頭が熱くなるのはなぜなのでしょうか。この身を火中に投じて、無心に全ての幸せを願う……そこに兎の利他行を重ね合わせるからなのかもしれません。

 『今昔物語集』には、始めは蛤として生まれたが、子供に拾われてお寺で遊ばれているうちにお経を聞いて次の世では犬と生まれ、さらにお経を聞いて牛に生まれ、次の世では馬に生まれて熊野詣での人々を乗せ、次の世では、柴燈護摩に火をつける人間と生まれた。常に火の光で人々を照らしていたので次の世ではとうとう法師に生まれたという仏法の結縁(仏と縁を結ぶ)話が見られます。

 本尊飯縄大権現を祈り、火焔のような護摩の炎に触れることは、罪障を滅して、心の平安を得ることにつながるでしょう。

 釈迦入滅の意義を明かした『涅槃経』というお経には、次のような教えが説かれています。

  一切衆生 悉有仏性

 私たち、この世に生きている全てのものには、仏となる資質が備わっていると言います。本当に自分に仏の心があるのか。おぼろに霞んだ春の月を見つめながら、兎の姿を深く心に刻みます。

     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございます。

スポンサーリンク