坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「地」のお話①~東日本大震災への思い、鴨長明『方丈記』、芥川龍之介『本所両国』~「法の水茎」9

お彼岸中は、明るい月が 輝いていました。 

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お彼岸中の満月


今日の文章は、「地」をテーマに、東日本大震災について書いたものです。
震災の日は、お寺の行事(普濟寺春季大護摩祭)の前日でした。激しい長時間の揺れに、境内の灯籠はすべて崩れ落ちました。次の日の行事は、長い歴史の中ではじめて中止となりました。
それからしばらく続いた停電(計画停電)と断水の日々を、今でも鮮明に思い出します。
このブログの開設日を3月11日にしたのも、あの時の気持ちをいつまでも持ち続けるためです。

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「法の水茎」9(2013年3月記)


  羽なければ空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らむ。
(羽がないので空を飛ぶこともできない。龍であったなら雲にも乗れるだろうに……それも叶わない)

 この言葉を残したのは、激動の時代を生き抜いた鴨長明(1155~1216)です。出家して法名を蓮胤と名乗り、今から八百年前の建暦2年(1212)弥生の晦日頃(陰暦の3月末日頃)に、代表作『方丈記』を書き上げました。

 『方丈記』の前半には、京の都で起こった5つの災厄が記されています。「火」にまつわる大火・「風」にまつわる辻風(竜巻)・「水」にまつわる飢饉(洪水)・「地」にまつわる大地震という4つの自然災害と、遷都(都を変えること)という人災の5つです。

 仏教では、この「地・水・火・風」の四種を「四大」(四大種)と呼び、この世の全てのものを構成する要素(条件)と説きます。「四大不調」という言い回しがあるように、これらの調和が崩れると、人間の身体にも影響を及ぼすと言われます。

 鴨長明は「四大種の中でも水・火・風の3つはいつも災害を起こすけれど、地というものは、本来は安定しているはずだ」と記しています。

 時に元暦2年(1185)、長明30歳の頃、突如として大きな地震が都を襲いました。山々は崩れ、海原は傾き、土地は大きく裂けて、岩々が谷に転げ落ちるという惨状に対して、冒頭の言葉が発せられました……「空を飛ぶことができたら」。

 大地が揺れるという予想だにしない異変を目の前に、恐らく言葉を失ったことでしょう。『方丈記』は、長明が50代後半に執筆したものですが、20数年前の状況を回想して書き記したものと思われます。

 今月、平成23年3月11日に発生した東日本大震災から丸2年を迎えました。私はあの日、自坊で法要の準備をしていました。尋常でない揺れに外に飛び出し、ひとしきり収まったところで辺りを見回すと、向かいの山並みが黄色く煙っていたのを覚えています。それが一斉に舞い上がった木々の花粉だと知ったのは、しばらく経ってからのことでした。

 芥川龍之介(1892~1927)の作品の中に『本所両国』という短編があります。亡くなる直前の昭和2年(1927)5月に発表されたこの自伝的小説では、大正12年(1923)に発生した関東大震災から4年後の東京下町が描かれています。芥川(主人公「僕」)は、変わり果てた本所界隈を歩きながら、世の中の流転(移り変わること)の相に衝撃を受けます。

 帰宅すると、家族に一日の出来事を報告しました。様変わりした現状と、以前の懐かしい思い出とを重ね合わせながら、世の無常(全ての物事は生滅・変化して、永遠に存在するものは何も無いこと)を痛感します。そして、思い出したかのようにポケットに忍ばせていた一冊の本を取り出し、その一節を読み上げました。

  不知、生まれ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る。
(私には分からない。生まれたり死んだりする人は、どちらから来て、どちらへ去っていくのであろうか)

 それは何かと質問する母親に、「これですか?これは『方丈記』ですよ。僕などよりもちよつと偉かつた鴨の長明と云ふ人の書いた本ですよ。」と答えたところで小説は終わっています。

 主人公は、大地震などの災害を挙げながら人間と住居(栖)の無常を説いた『方丈記』を手にしていました。ではなぜ、自分よりも長明のほうが偉かったと感じていたのでしょうか。答えは明かされていません。ただ、『方丈記』では大地震の記述を次のように締め括っています(私に現代語訳)。

「大地震の起こった当時は、人々はこの世の儚さを話し合って、少しは心の濁り(煩悩)も薄らぐように見えたけれど、それから月日が過ぎ去ると、大地震のことを口に出して言う人さえいない」

 長明は、大震災を描きながらも、人間の心の移り変わりにまで言い及んでいます。震災後の街を歩き、無常を感じた芥川でしたが、いつか自分も心移りしてしまうのではないかという思いに駆られたのではないでしょうか。

 東日本大震災から丸2年。嘆きから空しさに変わっても、決して記憶が薄らぐことはありません。長明も芥川も、時を経て言葉に残すことができました。しかし、悲痛な思いを心の奥底に抱えながら、未だ深く沈黙されている方々も多いことでしょう。

  南無飯縄大権現
  一心祈願 復興促進
  一心祈願 国土安穏

 「三寒四温」という季語があります。季節とともに、一刻も早く心の雪解けが進んでほしい。今なお不安な日々を送り、苦しみを抱えている人々が大勢いる中で、どうすれば痛みに寄り添うことができるのか、自戒として記しておきたい。

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最後までお読みくださりありがとうございます。