坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「道」のお話③~ お寺の道場、「仏と成るための道」(仏道) ~ 「法の水茎」103


勉強部屋の近くに咲いている一輪のパンジー。
目立たないところに咲いているので、私しか気づいていないかもしれません。

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昨年からずっと咲いていています。息が長いですね。
ここ最近の冷え込みにも霜にも負けず、力強いです。亡き母が冬の花といって、寄せ植えしていたのを思い出します。

力強いといえば、境内のいくつかの場所に飾っていた鏡餅も、こんな風になりました。

簡易的な鏡餅です。

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外はボロボロ、中身も持って行かれました。烏のような鳥の仕業かもしれません。頭が良いです。

さて先日、『高尾山報』のお正月号が届きました。1月号は、いつもより早めに届きます。

今月の私の文章も「道」がテーマとなっています。
「道場」という言葉の意味について書いてみました。お読みいただけますと幸いです。

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「法の水茎」103(2021年1月号)



 昨年の12月7日、高尾山薬王院において27年ぶりとなる、新しい御貫首様をお迎えする入山式が執り行われました。お山に響きわたる法螺(ほら)の音とともに、一足早い春が訪れました。誠におめでたいことです。

  山川の汀まされり春風に

   谷の氷は今日や解くらむ

         (『和漢朗詠集』)

(山川の水際も増してきて、とめどなく流れている。暖かな春風が吹いて、谷間の氷を解かし始めたのだろうか)

 早いもので、令和の御代も3年目を迎えました。年が改まった野山を散策すれば、吹き渡る風が運んできたのでしょうか、揺れる木々の梢にも、鳥たちの囀りにも、心なしか春の息吹が感じられます。

 季節はいよいよ冬から春へと移ってきました。春の3ヶ月間(90日間)を「九十春光」と言うように、これからは日に日に心地よい光に包まれて行くのでしょう。

 冒頭の「山川の」の歌は、中国の書『礼記』月令の「孟春の月、東風凍を解く」(春の初めの月に、東風が氷を解かし始める)を踏まえたものです。固い氷が解けるように、張り詰めていた心の緊張も解放できる世の中に向かっていくことを念じます。

 皆さまは年頭に当たり、どのような願い事を胸に手を合わされたでしょうか。高尾山薬王院においては、元旦の午前零時を合図に、佐藤秀仁御貫首大導師のもと「新年特別開帳大護摩供」が執り行われます。世界平和や五穀豊穣、家内安全や事業繁栄などの諸願とともに、病魔退散・疫病消除を祈り、今年一年のあらゆる幸せを願います。

 さて、先月号では、お釈迦様が悟りを開かれた「成道(じょうどう)」について書きました。お釈迦様は、35歳の時に菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開かれましたが、その時お座りになっていた場所(金剛座(こんごうざ))を「道場(どうじょう)」とも言います。「道場」と聞くと、今ではお寺の本堂のような仏道修行の場を思い浮かべるかもしれませんが、もともとは悟りを開かれた「成道の場」(成仏得道(じょうぶつとくどう)の場)という意味でした。お釈迦様は、成道によって「仏と成るための道」(仏道)を私たちに示されたのです。

 「道場」という言葉は、「成道の場」から「悟りへの心の修行の道」となり、やがてお寺の本堂など「仏道修行の場」を指すようになりました。武芸を練習する場所を「道場」と言うのも、仏道修行と同じように心の修練という意味合いがあるのでしょう。

 お寺の道場(お堂)には、本尊を始めとする仏像が安置されています。いつも静かに見守ってくださっていますが、過去には声を発する不思議な仏様もいらっしゃったようです。

 紀伊の国名草の郡貴志(きし)の里(今の和歌山市)に、貴志寺(きしでら)という一つの道場がありました。

 光仁天皇(709~781)の御代、一人の優婆塞(うばそく)(在家の男性信者)が、その寺に住んでいました。するとある時、寺の中から「痛いよ、痛いよ」という呻き声が聞こえてきます。はじめは宿を取った旅人が病気になったのかと思いましたが、堂内を見回しても誰もいません。苦しむ呻き声は夜な夜な続きました。

 ある日の夜明け頃、いつにも増して大地に響くような叫び声が聞こえてきます。明るくなって堂内を見ると、そこには丈六(じょうろく)(約4・8メートル)の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)の首が落ちていました。なんと千匹ほどの大きな蟻が、首をかみ砕いてしまったのです。

 村人は悲しみ、新しい像を造って供養しました。仏は生き身ではないけれど、仏像に宿った聖心(しょうしん)が現れたのでしょう。お釈迦様は入滅(にゅうめつ)しても、いつも身近に存在しています。このことは決して疑ってはいけません。
          (『日本霊異記』下巻)


 ここに登場する男性には、仏様の声が聞こえていました。信仰心に篤かったからこそ、蟻が仏像をかみ砕く音が、苦しみの声として響いていたのかもしれません。

 村人も我が事のように、仏像を修復しています。深い傷を負った仏様を、必死に治したいという一心だったのでしょう。

  唱ふてふ三世の仏の道はあれど

   来る春もなく去る年もなし

         (正徹『草根集』)

(「唱える」という、過去・現在・未来にわたる仏の道はあるけれど、そこにはめぐり来る春もなく、去りゆく年月もない)

 人間がもともと持っている仏様の心を「無相道場(むそうどうじょう)」と言います。仏様の道を追い求めて、ただひたすらに仏様の御名をお唱えするとき、そこに仏様と私たちを隔てる垣根はどこにも見当たりません。



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最後までお読みくださりありがとうございました。