坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「火」のお話①~御護摩と初日の出、炎と光~「法の水茎」7

 

 お寺の池には水芭蕉も咲いています。 

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水芭蕉

水芭蕉の真ん中の白いところは仏炎苞(ぶつえんほう)と言います。
これは、光背(こうはい)と呼ばれる、仏像の後ろの光をかたどった装飾に似ているから名づけられたとか。
春の陽光に照らされるお姿は、まさに後光が差し込んでいるかのようです。お寺にピッタリのお花ですね。

さて今日の文章は、「火」をテーマに、御護摩の炎や初日の出の光について書いたものです。

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「法の水茎」7(2013年1月記)


  新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事
                          (『万葉集』大伴家持) 


 日本で最古の歌集『万葉集』を締め括る一首です。「新春に舞い散る雪のように、今年も良いことがたくさん積もってほしい」。日本人は昔から、新しい年を迎えられたことに感謝し、元日にはひときわ心を改めてきました。 


 高尾山薬王院では、元旦午前零時を合図に大山隆玄御貫首大導師のもと「新年特別開帳大護摩供」が奉修(執り行うこと)されます。それまでの大晦日の静寂は一変し、堂内は僧侶による読経の声で満ちあふれます。 


 「護摩」という言葉は、もともとインドの古い言語であるサンスクリット語の「ホーマ(homa)」という言葉を音写したもので、「火の中に注ぐ(捧げる)」という意味があります。御本尊の御前で護摩木(薪)を焚いて、さまざまな供物を捧げ、息災(無事)や増益(幸せ)を祈ります。 


 さて、平安時代の終わり頃に行尊僧正(1055~1135)という高徳の「聖」がいました。若い頃から大峰山・葛城山・熊野などで修行を重ね、霊験あらたかな修験者として知られていました。その行尊が、初めて不動護摩(不動明王を本尊とする護摩法)を修した時のこと。夢の中に不動明王の使いが現れたと言います。お姿は1丈34尺(約4メートルほど)の童子で、青い衣の上に紫のものを身につけ、左手に剣と索(大縄)を持ち、右手に剣印(不動明王の印)結んでいました。童子は壇上から行尊のもとに歩み寄り、「2千日の護摩行をお勤めなさるべきである」と告げます。行尊はこの言葉を聞き入れ、大峰山中へと入って行きました。 


 ある時、空に暗雲が垂れ込め、激しい雨が庵に押し寄せてきたことがありました。行尊は怯むことなく、わずかに残された岩の上に蹲踞(身をかがめること)し、大声で経を読み続けました。するとその夜、麗しい童子が左右に二人現れ、行尊の足を持ち上げます。行尊は感激のあまりに涙を流しました。ますます本尊を念じると、童子は再び夢枕に立ち現れたと言います。行尊は、この大峰笙の窟での修行を歌に託しました。 


  草の庵 なに露けしと 思ひけん 漏らぬ岩屋も 袖はぬれけり
                            (『古今著聞集』) 

 

 俗世間を離れた「無漏」(煩悩のない境地)の深山で、一人感涙にむせび泣いたのです。 


 厳しい修行を積み重ねた僧侶には、常に仏が寄り添っています。「護摩」には、実際に火を焚く「外護摩」と、智慧の光によって煩悩を焼き尽くす「内護摩」の2種類があります。この両面を兼ね備えた僧侶は「聖」と呼ばれ、数々の功徳(恵み)を、あまねく人々にもたらします。 


 私のような未熟者には、夢や燃えさかる護摩の炎の中に、仏のお姿を見ることは叶いません。ただ、承仕(雑役僧)として御導師様のお姿を拝していると、金色の炎がお顔に映し出され、まさに仏と一体となっている瞬間を目の当たりします。読経で居並ぶ僧侶たちも、護摩の煙に包まれながら一心に仏を念じます。 


 山の方に目を移せば、元日の夜から明け方にかけては、明かりを灯した一条の列が、はるか彼方にまで連なります。暗闇に揺らめく光の正体は「御来光」を拝むために山に集った方々です。少しでも高いところを目指して、一歩一歩、ゆっくりと足を運びます。 


 日本では、年の初めの「御来光」を「初日の出」と呼び、年に一度の陽の光を待ち望んできました。夜明けが近づくと、自然と東の空を遠く見やります。 


  春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、 

  山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
                          (清少納言『枕草子』) 


 ほがらほがらと薄明るくなると、東の空は薄紅色に染まってきます。すると程なく、まばゆい光が出現し、私たちの心身に温もりを与え、辺り一面を隈無く照らし出すのです。

 「初日の出」を拝む習慣は、もともと「四方拝」という宮中の儀式から始まりました。元日の朝に天地四方を拝する「四方拝」は、やがて一般にも広まり、人々は一年の豊作と無病息災を願いました。室町時代後期の歌集には、

    四方拝の心をつかうまつりし
  日の出づる 方より先や たなごころ あはせてむかふ そめ色の山
                          (馴窓『雲玉和歌抄』)

という和歌が見られます。自然に感謝し、今にも顔を出しそうな「染め色の山」に向かって「掌を合わせ」(手を合わせ)る祈りの光景は、今も昔も変わりません。

 高尾山では山頂の大見晴台において、初日の出を拝する迎光祭が執り行われます。「聖」という言葉の語源は、太陽のように全てを知り尽くす「日知り」からとも、火を司る「火治り」から来たとも言われます。護摩の炎に仏を見、陽光を拝する僧侶とともに、手を合わせ、心静かに、五感を研ぎ澄ませる……「一年の計は元旦にあり」。今年もさっそく祈りの一年を始めてみてはいかがでしょうか。

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