坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「死」のお話②~命を色濃く染める、苦しみを乗り越えて~「法の水茎」41

八重桜はやはり見事です。

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ヤエザクラ

種類によって色合いも異なります。
八重桜も牡丹桜も八重に咲く桜。里桜ともいいます。

綿菓子のような花びらを手の平に乗せたら、少しヒンヤリ。。。数枚の花びらが舞い散りました。


今回の文章は、四苦八苦の「死苦」をテーマに、命には限りがあることについて書いたものです。

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「法の水茎」41(2015年11月記)




  奥深い山を彩っていた紅葉も、いつしか私たちのまわりにまで舞い降りてきました。紅色・黄色に染め上げられた木の葉が、吹き抜ける秋の風に揺らめいています。それはまるで錦の織物を纏いながら、艶やかな舞いを舞っているかのような装いです。

  奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
   声聞く時ぞ 秋は悲しき
       (『古今集』読人不知)
(人里離れた深い山で、紅葉を踏み分けながら鳴いている鹿の声を聞くと、秋の悲しさがひときわ身に沁みてくるよ)

 「悲愁」と言われるように、秋の風情は、艶やかでありながら、同時にしみじみとした悲しみも誘います。鹿には「紅葉鳥」という異名もありますが、錦の衣で装った牡鹿は、まだ見ぬ牝鹿を探し求めて、恋しく鳴いているのでしょうか。

  色深き 袖の涙に 習ふらし
   千入八千入 染むる紅葉
      (『新拾遺集』花園院)
(ひたすら深く思い、衣の袖を濡らす涙によって身につけたのだろうか。千入(ちしお)・八千入(やちしお)に色づいた紅葉は)

 「千入(ちしお)」とは「何回も色濃く染めること」を意味します。紅葉の色を表すときに、赤や黄色と言うだけでは、何となく薄っぺらく感じていたのは、それが何度も何度も染め浸した色彩だったからなのかもしれません。「千入(ちしお)に染むる紅も染むるによりて色を増す」という言い回しがあるように、幾度も染めた真紅は、さらに染め続けることによって、いっそう鮮かな光沢を帯びるのです。

 この歌では、色濃き紅葉は、悲しみの涙によって染め上げられたものと詠っています。強い悲しみに流す涙を「紅の涙」と呼びますが、木々は霜や時雨に堪え忍んだからこそ、今目の前に、輝くばかりの姿を見せてくれているのでしょう。

 「紅葉」は、やがては移ろい散りゆくことから、和歌では「移る」「過ぐ」という言葉に掛けられます。盛りを誇る「千入の紅葉」も、晩秋の風に逆らうことはできません。

 人も同じように、秋から冬へと歩みを進めています。それは日々、止まることがありません。草木がいずれは果てるように、私たちも時の流れに身を任せているのです。

 お釈迦様をめぐって、次のような話が伝わっています。

 昔、お釈迦様が倶尸那城(くしなじょう)(お釈迦様が亡くなられた入滅の地)に向かっていた時のこと。道の途中に、高さ16丈(48メートル)もある大きな石が横たわっていました。そこで、たくさんの力士(力の強い人)が集まって石を引き退けようとしましたが、あまりの重さに全く動きません。

 すると、それをご覧になっていたお釈迦様は、なんと足の指一つで大石を遥かに蹴り上げて、また落ちてくる時には手の指一本で粉々に砕いて見せたのでした。

 力士たちが驚いていると、お釈迦様は語りました。「私にはこのような神通力(霊妙な力)があるけれど、生死の無常(人生の儚さ)からは逃れることができない。私は明日、涅槃(釈迦の死)に入るのだ」と。 


 お釈迦様でも、死を遠ざけることはできませんでした。言うまでもなく、後の世の私たちも同じです。
              (『宝物集』)

 お釈迦様は、大きな石を軽々と打ち砕くことによって、何事でもなし得る神通力を見せつけました。さらには、一見揺るぎないように見えるものでも、決して同じ状態ではあり続けないことを身をもって示したのです。岩でも小石に移り変わる世の中にあって、ましてや人の命が儚いものであることを教え諭しているのでしょう。

 また、お釈迦様は岩を消し去ることなく、小さく砕いて見せました。これは、お釈迦様という大きな存在が消え失せても、その教えは後の世まで多くの輝石となって伝えられていくことを願ったものではなかったかと感じられます。

  風葉に因縁を知る
  輪廻幾年にか覚る
    (空海『般若心経秘鍵』)
(風に吹かれる木の葉に、自分との結びつきを知る。生まれては死ぬという生死の繰り返しを、私たちはどれくらいの年月をかけて覚るのだろう)

 お釈迦様は、自らの命に限りがあることを嘆き悲しみませんでした。秋の紅葉も同じように、麗しく佇みながら、ただ静かに秋風の訪れを待っているかのようです。多くの苦しみを乗り越えてきた「千入(ちしお)の紅(くれない)」が、今年も私たちを取り巻き、どこまでも色濃く染め上げてくれます。


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最後までお読みくださりありがとうございました。