坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「風」のお話①~高尾山の天狗、飯縄大権現の眷属として~「法の水茎」4

お墓の道沿いにミツマタが咲いていました。 

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ミツマタ

今回の文章は、「風」をテーマに高尾山の天狗ついて書いたものです。

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「法の水茎」4(2012年10月記)


 今年も秋がめぐってきました。高尾山の樹齢800年の大杉原にも、色づいた紅葉を誘いながら、秋の風が吹きわたっている頃でしょうか。

  秋き来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
                     (『古今和歌集』秋歌上・ 藤原敏行)
(秋の到来は、目にははっきりと見えないけれど、吹き来る風の響きに、はっと気づいたことよ)

 この時節は、涼やかな風や虫の声に秋の気配を感じ、ぱたりと止んだ静けさにもまた秋の深まりを実感します。

  秋吹くは いかなる色の 風なれば 身に沁むばかり あはれなるらむ
                       (『詞花和歌集』秋・和泉式部)

 もちろん風に色はありません。しかし、短いからこそ、秋の移ろいが身に沁みて繊細な感情(あはれ)を呼び覚ますのでしょう。「色なき風」とも名づけられた秋の調べは、その透明な空気によって、私たちの五感の働きを、ひときわ研ぎ澄ませてくれるのです。

 高尾山と言えば「天狗」が有名ですが、吹き抜ける風の音は、もしかすると天狗の声や羽音なのかもしれません。お山を訪れる人々ともに、大声で笑ったり、時には大杉に腰を下ろして、私たちに涼しい風を送り届けているような気がします。

 山歩きをしていると、にわかに風が吹きつけてくることがあるでしょう。突如として吹き下ろす旋風を「天狗風」と言い、地響きを伴う突風を「天狗倒し」とも呼びます。また、風とともにどこからともなく飛んでくる小石を「天狗礫」と言い、それは天狗の通り道で起こると言われます。不思議な天狗の風は、全国各地の山々で語り継がれています。古来から人々は、深山幽谷の木々の葉擦れの音や風の唸りに、天狗の気配を感じてきたのです。

 天狗の風と言えば、天狗が右手に持つ団扇にも目が留まります。もともと扇・団扇は神事に用いられたものですが、天狗が手にすることによって神の持ち物となりました。天狗の団扇は、楓(羽団扇楓)、植物の八手(天狗羽団扇)のような形をしています。

 ひと扇ぎすれば強風を巻き起こすという天狗の団扇については、拾った男が風に乗って天高く空を飛び回った話(落語「羽団扇」)や、鼻を扇いで高くしたり低くしたり、自由自在に使いこなしたという昔話(鼻高扇)も残されています。高尾山で売られている「天狗うちわ」は「一振りすれば魔を払い、二振りすれば福を呼ぶ」と言われますが、そもそも天狗の風には、さまざまな神通力(自在の力)が備わっていると信じられているのです。

 では、天狗はどのような姿をしているのでしょうか。『平家物語』によれば、「人間のようで人間ではなく、鳥のようで鳥ではなく、犬のようで犬でもない。足と手は人間、頭は犬、左右に羽が生えていて、大空を飛び回っているもの」と記されています。普段姿をあらわさず、神通力を持った天狗は、摩訶不思議なものと考えられていたのです。

 高尾山には本尊飯縄大権現の眷属(仏・菩薩に付き従うもの)として、鼻の高い大天狗と、鳥の嘴を持った小天狗(烏天狗)が祀られています。もしかしたら、大きな羽根で高尾山中を飛び回り、時には霊木「天狗の腰掛杉」で羽根を休めているかもしれません。山の神、高尾山の守護神として霊場を見廻り、聖域を護っているのです。

 本尊飯縄大権現は、不動明王の化身(仮の姿)としての本誓(切なる願い)をあらわした五相合体のお姿をされています。不動明王・歓喜天・迦楼羅天・荼枳尼天・宇賀神・弁財天という五体の神仏の中で、金色の羽翼と鳥の嘴を持ち、飛行自在の徳をあらわすのは迦楼羅天ですが、実は天狗のルーツとも考えられています。大きな翼を広げると、336万里(千三百万キロメートル以上)にも及び、仏法を守護するために空を飛び回りながら、常に暴風雨を起こす龍(毒蛇)を食べていると言われます。ちなみにこの龍が引き起こす「暴風雨」とは、人間の貪欲(欲深い心)・瞋恚(怒りの心)・愚痴(無知の心)という3つの煩悩(三毒)を意味します。迦楼羅天は、こうした人間の根源的な苦しみを食べ尽くしてくれるのです。

 高尾山に登ると心が清々しくなるのは、こうした迦楼羅天や天狗の風の働きによって、私たちの煩悩が取り除かれ、吹き払われているからなのでしょうか。

 風は、無風でもなく、暴風でもなく、適度なものが心地よいものです。それは人間の欲望も同じことと言えるでしょう。

  一心祈願 風雨順時
  一心祈願 五穀豊穣
  一心祈願 万民豊楽

 高尾山薬王院では、穏やかな季節の移ろいの中で、自然の恵みと、人々の心の安寧(幸せ)を日々祈っています。

 風に吹かれて紅葉が一葉、舞い落ちました。ひょっとして天狗の仕業でしょうか。

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最後までお読みくださりありがとうございます。