坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「時間」のお話⑤~指を打ち鳴らす間に、光の道を探して~「法の水茎」89

お寺の紅葉がだいぶ色づいてきました。

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紅葉越しのイチョウです。
負けじと色を変えているようです。

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秋本番にお墓参りはいかがでしょうか。
陽が当たるお昼前から午後にかけての時間帯がオススメです。
皆さまのお参りをお待ちいたしております。


さて、今回の『高尾山報』の文章は、引き続き「時間」をテーマに、指を打ち鳴らすほどの短い間に、過去・現在・未来の三世が含まれていることについて書いたものです。


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「法の水茎」89(2019年11月記)




 10月中旬に東日本を縦断した台風19号は、広範囲にわたって甚大な被害をもたらしました。まずは被害に遭われました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

 自坊の近くを流れる江川という河川も、深夜に氾濫しました。普段は穏やかな流れを見せる小川ですが、一夜にして河辺の風景を変えていました。土手を越えて田畑に水が入り、流れ着いた大木や藁、土砂などがビニールハウスを押しつぶしていました。


 9月の台風に続いて被災された方も多くいらっしゃるかと存じます。心身ともに疲弊されていることと思いますが、まずはお身体を大切になさり、くれぐれもご無理をなされませんようお願いいたします。

 令和元年10月22日、新天皇陛下の御即位を国内外に宣言する「即位礼正殿の儀」が皇居・宮殿において行われました。

 当日は朝から雨模様でしたが、儀式が始まり、玉座「高御座」と隣の「御帳台」の帳が開かれた瞬間、雨は上がり晴れ間がのぞきました。天皇陛下は、皇太子時代の今年始めの歌会始において、「光」をお題として、

  雲間より さしたる光に 導かれ
   われ登りゆく 金峰の峰に

という高校時代の登山の思い出を振り返られた歌を詠まれました。この即位礼での宣明を前にして、陛下と皇后さまに降り注がれた光は、あるいは陛下が心から願われた「世界の平和」へと続く「光の道」だったのでしょうか。たいへん神秘的なものでした。

  わが君は 千代に八千代に 細れ石の
   巌と成りて 苔のむすまで
          (『古今集』読人不知)
(わが君は千年も幾千年も、永久に続いてほしい。小さな石が少しずつ成長して、大きな岩となり、その岩に苔が生えるまで)

 国歌「君が代」のルーツとなった和歌です。幸せで平和な世の中が続くことを願いつつ、私たちも共に新しい令和の時代を歩んでいきたいと思います。

 高尾山は今、紅葉の季節を迎えています。「高尾山十景」に選ばれた「弁天丸の谷もみじ」や「浄心門の名残のもみじ」も、皇后さまがお召しになった十二単のような艶やかなお姿と重なります。

 短い秋をめぐる話は多いのですが、『大鏡』という作品には、180歳になる夏山繁樹という老人が、醍醐天皇(885~930)との鷹狩の日に目にした、秋の盛りの光景を思い出す場面があります。

 夏山繁樹は、「山の入口の狩場にお入りになると、天皇の鷹が、雉を捕まえたまま御興の鳳の上に飛んできて止まりました。ちょうどその折は、次第に日が西の山の端に傾き、夕日がたいそう差して、山の紅葉が錦を張ったようでした。

 鷹の色はとても白く、雉は鮮やかな明るい藍色のようで、その色の対比が素晴らしく、鷹は羽を大きく広げて止まっていました。それは雪が少し舞ったような、冬と秋の景物が取り合わされた風情で、このような美景が二度とあるだろうかと思われるほどでした。身に染むほどにしみじみと感動したので、どんなに罪を得てしまっただろう」と言って、指を弾指(たんじ)(爪弾き)しました。
                (『大鏡』)

 錦の山並みに鷹の白と雉の藍色を重ねながら、冬の風情を添えた秋の夕暮れが語られています。ただ、秋の頂点とも言うべき光景に感動を覚えつつ、繁樹はなぜそこに罪の意識を感じ、指を打ち鳴らしたのでしょう。

 ここに見える「弾指(たんじ)」(「だんし」「だんじ」とも)とは、人差し指か中指の先を親指の腹に当てて音を立てることで、神仏への敬いや喜び、警告や許しなど、さまざまな意を表します。繁樹は、殺生戒を破った鷹狩で深く感じ入ったことに罪を覚え、禍(わざわい)を除くために指をパチンと弾いたのでした。

 また「弾指」には、仏教語の「刹那(せつな)」や「須臾(しゅゆ)」と同じように「きわめて短い時間」という意味もあります。指を弾く一弾指の間に、60から65の刹那があると言われる無意識の瞬間です。その僅かな中に、あらゆるものが込められているのです。

  一弾指(いちたんじ)の頃
  去来今(こらいこん)
       (蘇東坡詩集)
(指を一度弾く間に、過去・現在・未来の三世がある)

 秋は弾指のように、目にも留まらぬ早さで過ぎ去っていきます。色づいた紅葉も、やがて晩秋の疾風を知って散りゆくでしょう。もう二度と出会うことはない秋景色に抱かれながら、永久に変わらぬ「光の道」も探してみます。

 

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最後までお読みくださりありがとうございました。