坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

息子の七五三の御祈祷を受けに高尾山薬王院へ

5歳になる息子の七五三で、八王子の高尾山薬王院をお参りしました。

平日ということもあり、自坊を車で朝の7時過ぎに出発して、9時過ぎには高尾山口に着きました。

有り難いことに、麓の不動院では大山隆玄御貫首様に御挨拶させていただきました。

大勢の方で混み合う中、ケーブルカーに乗って山上へ。

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高尾山展望台からの眺め

やや色づき始めてきた感じでしょうか。
今年は紅葉が遅れているようで、今月下旬辺りが見頃かもしれません。

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高尾山展望台からの眺め

秋晴れの一日。
遠く都心まで見渡せます。東京スカイツリーも見えました。

11時からのお護摩で息子の「身上安全」を御祈祷していただきました。

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御札

ありがたいお経と御護摩の炎に深く感じ入りました。

執事長様、執事様にもご挨拶させていただきました。

お昼は精進料理の高尾膳。

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精進料理

品数豊富で豪華ですね。
添えられていたポストカードには「一念は偉業を成しとげる」とありました。肝に銘じます。

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千歳飴

千歳飴もいただいて、七五三らしくなりました。
私も子どものころの記憶がよみがえってきました。

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女児の参詣(さんけい)のようす。後方につき従う少年の手には千歳飴(ちとせあめ)がみえる。七五三の名でこの祝いが盛んになったのは明治時代の東京においてであり、全国的に広まったのは第二次世界大戦後からだといわれている。楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)画『安津末風俗(あづまふうぞく) 十一』 1901年(明治34)国立国会図書館所蔵

『日本大百科全書(ニッポニカ)』「七五三[百科マルチメディア]」の項 

 
高尾山を散策して、再び見晴台へ。

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見晴台にて

息子も楽しんでいるようです。

自坊に帰ってきたのは6時半。充実した一日に、いつしか空には満月が浮かんでいました。

半日ぶりに、羽織袴から着替えた息子。慣れない服装は疲れたでしょう。

息子 「もう七五三終わった?」
私  「終わったよ。男の子は一生に一度だからね」
息子 「そっか……良かった」

また一つ、人生の階段を上ったね。七五三、おめでとう!

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御神酒

お祝いの御神酒もいただきます!

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最後までお読みくださりありがとうございました。