坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「水」のお話①~文覚の滝行、不動明王の御加護~「法の水茎」2

お寺のしだれ梅が見ごろを迎えています。 

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しだれ梅

 かぐわしい香りです。

 

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「法の水茎」2(2012年8月記)

  高尾なる 緑もふかき のり法の山 飯縄の御威 永遠に変わらじ

 これは高尾山薬王院の御詠歌です。「高尾山は深山幽谷の仏法のお山であり、ご本尊飯縄大権現のご威光は、永遠に変わることなく遍く照り輝いているよ」という歌心になるでしょう。

 「御詠歌」とは、仏の恩徳をたたえ、節を付けながら詠み上げる歌のことです。西国33ヶ所や四国88ヶ所などの霊地を巡拝し、鈴の音色に包まれながら、お唱えされた方もおられるのではないでしょうか。ご本尊の御前で、心に仏を観じながら、一心に声高く歌う……その時、仏・菩薩が感応(信心が神仏に通じること)し、私たちの祈りを聞き入れてくれるのです。

 ちなみに、高尾山には薬師如来もお祀りされています。この薬師如来という仏様について、室町時代後期に作られたとされるお伽草子『さざれ石』には、

  君が代は 千代に八千代に さゞれ石の いはほとなりて 苔のむすまで

という歌が「すなはち薬師如来の御詠歌なるべし」と記されているのは興味深いことです。

 さて、御詠歌の起源については、はっきりしたことは分かっていません。ただ、平安時代中頃の花山天皇(968~1008)にまで遡る逸話があるようです。熊野の那智の滝で千日滝籠行を行った花山天皇は、熊野権現の霊験に感謝し、修行の後に西国33ヶ所を巡礼しながら、行く先々で神仏に歌を手向けました。花山天皇は、滝行による仏・菩薩への報恩謝徳(恩徳に感謝すること)の思いを、57577の31文字に託したのでしょう。後世の巡礼者が、和歌に節を付けて歌ったものが御詠歌の始まりと伝えられています。

 那智の滝と言えば、文覚上人(1139~1203)の滝の荒行も有名です。『平家物語』には、次のような話が語られています(巻第5「文覚荒行」)。

 熊野に参詣し、那智籠りをした文覚は、21日の間に慈救呪(不動明王の真言の一つ)30万遍を唱えるという大願を起して那智の滝に入っていきました。

 季節は厳冬、雪が降り積もり、滝の落水も氷柱となる中、文覚は滝壺に首までつかって、慈救呪を唱え続けます。

 4・5日が過ぎると、堪えきれずに浮き上がり、下流に押し流されそうになりました。すると突然、かわいらしい童子が現れ出て、手を取り引き上げてくれたのです。ところが文覚は、再び滝壺に戻っていきました。

 そのさらに2日後、8人の童子(不動明王の使者である八大童子)が現れて文覚を引き上げようするけれども、決して滝から出ようとしません。

 3日目、ついに文覚は力尽きました。すると今度は、滝の上から天童2人が降り来たり、文覚の全身を温かく香ばしい御手でお撫でになったのです。文覚は夢心地の中で息を吹き返しました。

 天童は文覚に向かって語ります。「我々は、不動明王のお使いの矜羯羅・制吒迦という童子である。明王より『文覚が大願を起し、勇猛の修行を行っているので擁護せよ』と命じられてやって来たのだ」と。文覚はこの示現によって21日間の大願を成就し、「刃の験者」(刃のように鋭く、効験あらたかな修験者)として世に知れわたったのでした。

 この勇猛精進(勇猛心をもって仏道を修行すること)の滝行によって、文覚は「刃の験者」として生まれ変わりました。神護寺や東寺、高野山大塔などの真言寺院を次々と復興しています。不動明王の御加護が後押ししたのかもしれません。

 このように勇ましく荒々しいイメージの文覚ですが、時には和歌も詠み出したようです。

 ある日、文覚は歌5首を詠み、当時一流の歌人であった藤原定家(1162~1241)の許を訪れました。その文覚の歌を見た定家は、「皆、その心珍重なり。仏法練行の心、和歌に通ず」と文覚の歌を評しています(頓阿『井蛙抄』)。定家は、文覚の言葉の奥底にあるものを見極めていたのでしょう。文覚の和歌には、「仏道修行による仏の心」が込められていたというのです。

 今回取り上げた花山天皇も文覚も、仏道修行(滝行)によって仏心が宿り、仏の教えに彩られた言葉(和歌)を発するようになりました。これは、何故なのでしょうか。

  やまと歌は、人の心を種として、よろず万の言の葉とぞなれりける。

 古来より日本では、「人の心を種」として生み出された和歌には、天地・鬼神までをも感動させる力があると信じられてきました(『古今和歌集』「仮名序」)。種(心)から発芽し、やがて葉(和歌)が生じます。しかし、そのままでは上手く生育しません。良い環境があってこそ、根と幹が立派に育ち、見事な花を咲かせ、色濃い葉を茂らせるのです。

 おそらく花山天皇も文覚も、滝行によって心の垢(煩悩)を洗い流したのでしょう。仏のご威光が沁み透ったのではないかと考えます。「かたじけない」環境の中で、しっかりと根を這わせた木々には、さぞかし奥深い言葉(和歌)が生い茂っていたことでしょう。

 お経を唱えることはもちろん、滝行も御詠歌も、私たちの信仰心と切り離すことはできません。皆様も仏の慈悲心と一体となり、「自身自仏」(この身即ち仏なり)のお姿に、自らを近づけてみてはいかがでしょうか。

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