坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「無財の七施」のお話⑥ ~ 床座施、雨薫る六月、譲る心の美しさ ~ 「法の水茎」120


紫陽花が見頃を迎えてきました。


色とりどりの花の色が、まるで花火のようです。

さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」は120回目となりました。書き始めてから、丸10年の月日が流れました。

これまで何度か穴を開けそうになりました(父母が亡くなったときや、昨年の入院手術後など)。ここまで書き続けてこられましたのも、皆さまの励ましによるものです。ちょうど10年の区切りを迎えましたが、まだ肩を叩かれていないようですので、もう少し続けてみようと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

今月の「法の水茎」は「譲り合い」がテーマです。「無財の七施」の六つ目は「床座施」。「譲る行為」とともに「譲る心」の大切さについて考えてみました。お読みいただけましたら幸いです。

 

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「法の水茎」120(2022年6月号)




  万代に変はらぬものは五月雨の

   雫に薫る菖蒲なりけり

        (『金葉集』源経信)

(永遠に変わらないものは、五月雨の雫に薫る菖蒲(あやめ)の麗しさであることよ)

 爽やかな新緑の初夏から、潤いの季節へと移ってきました。陰暦の4・5・6月(現在の5・6・7月)は「三夏(さんか)」と呼ばれ、今の時期はちょうど夏の半ばにあたります(仲(なか)の夏)。やがて梅雨入りから一ヶ月も経てば、元気に輝く太陽が顔を出してくれるでしょう。

 冒頭の「万代(よろづよ)に」の歌では、五月雨に色を増す菖蒲の薫りが詠われています。もしかすると作者は、実際に菖蒲に顔を近づけたのでしょうか。その高貴な香りは、まるで香水のように感じられたかもしれません。

 この時期の「長雨」は「眺め」という言葉と掛けられるように、長く降り続く雨を見つめていると、いつしか物思いに耽ってしまうものです。「風薫る五月」ではありませんが、五月雨によって一段と鮮やかさを増す草花を愛でながら、しっとりとした「雨薫る六月」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 さて今回も、引き続き「無財の七施」という「いつでも誰でも実行できる布施行(ふせぎょう)」について書いてみたいと思います。「無財の七施」の六つ目は「床座施(しょうざせ)」(「牀座施(しょうざせ)」とも)と呼ばれる教えです。

 「床座施」について、『雑宝蔵経』には「若(も)し父母(ふぼ)・師長(しちょう)・沙門(しゃもん)・婆羅門(ばらもん)を見(み)れば、為(ため)に床座(しょうざ)を敷(し)きて座(ざ)せしめ、乃至(ないし)自(みずか)ら已(すで)に自(みずか)ら坐(ざ)せる所(ところ)を以(もっ)て請(こ)い坐(ざ)せしむるなり」と見えます。「床座(しょうざ)」は「座るところ」を意味し、「人のために場所を用意したり、自分の席を譲ったりすること」を説いています。「床座施(しょうざせ)」は、席を譲るという点からすれば「譲座施(じょうざせ)」と言い換えられるかもしれません。

 さて、現代の「床座施(しょうざせ)」といえば、電車やバスなど公共交通機関での行動を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。国土交通省が実施したアンケート(令和3年3月)によれば、優先席に座っている時、高齢者や身体の不自由な方、妊婦さんや怪我をしている方が近くにいたら席を譲るかとの問いに、「よく譲る」「ときどき譲る」と答えた方は80パーセント以上に達しています。

 また、優先席ではなくても、お年寄りに席を譲る運動をしている学校があり、そこで一位に輝いた生徒さんが「ポイントはまず自分が座ること」と語ったそうです。まさに目から鱗が落ちるような名言ではないでしょうか。誰かに席を譲るためには、まずは自分の席を確保し、さらにはいつでも譲る姿勢でいることが大切なのでしょう。立ち上がる行為とともに、「譲る心」の重要性も教えてくれたように思います。

 「席を譲る」という言葉には「自分の席を空けて人を座らせること」以外にも、「それまでいた地位に他の者が就(つ)く」という意味も含まれています。日本には古来より「譲り合いの精神」「謙譲の美徳」といった言い回しがあるように、自分よりも人を立て、お互いを尊重し合う心の美しさが重んじられてきました。「椅子取(いすと)りゲーム」のような遊びならともかく、実生活においては、相手を蹴落とす行為はやはり慎むべきでしょう。「譲る心」は、今回の「床座施(しょうざせ)」の基本となる心構えでもあります。

 こうした「譲り合い」をめぐっては、次のような話が伝わっています。

 皇位継承をもくろむ者に父を殺された兄弟がいました。二人はその身分を隠して、播磨国(はりまのくに)(現在の兵庫県)の志自牟(しじむ)という人の家に身を潜めていました。

 ある日、志自牟(しじむ)の家の新築祝いがありました。宴もたけなわになると、皆が舞を舞い、そこに居合わせた二人の少年も、舞うように促されました。

 一人の少年が言いました。「お兄さんが先に舞われるように」と。するともう一人が「弟が先に舞われるように」と言いました。

 このように譲り合った時、その場に集まった人々は、この譲り合う様子を見て笑ったのでした。

  (『古事記』「二王子の舞」)

 二人の少年は、父を殺されても怨むことなく、お互いを認め合って生活していたのでしょう。その息を合わせる仲睦まじい姿に、周りも笑顔に包まれています。

 二人の少年は、後の仁賢天皇(にんけんてんのう)と顕宗天皇(けんぞうてんのう)と伝えられます。仁賢天皇の御代は国中が治まり、「天下(てんか)は仁(じん)に帰(き)し、民(たみ)はその生業(なりわい)に安(やす)んじている」と評される名君と讃えられます。こうした情け深い心は、この二王子の場面に描かれているように、若き日から培われてきたものであったのでしょう。

  近江なる千の松原千ながら 

   君に千歳を譲る譲る 

    みな譲る

    (後白河法皇撰『梁塵秘抄』)

(近江国(おうみのくに)にある「千の松原」の「千」の名のように、お慕いするあなたに千年の長寿を譲ります。譲ります。すべて譲ります)

 生死(しょうじ)を忘れて尽くすことを「命を譲る」と言います。五月雨を浴びて生い育つ草花の姿を眺めながら、譲る心の美しさを感じています。




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最後までお読みくださりありがとうございました。