今日は朝から日差しがたっぷりです。
鳥も元気にさえずっています。
古いパソコンをのぞいていたら、母が20年ほど前の50歳代の頃に書いた詩が見つかりました。それはかつて、お寺の奥様方が発行する栃木北部教区「寺庭婦人だより」に掲載していただいたものでした。
今回の葬儀に際して、ご会葬くださった皆さまにお配りさせていただきました。
✿ ✿ ✿ ✿ ✿
花(私のひとり言)
髙橋 キヨ子
縁側に座って庭を眺めていると、どの花もしっかりと咲いてとても美しい。
「わー、綺麗ね」と話しかけてみるけれど、私には何も答えてくれない。
でも花には、何か話したいこと、聞いてもらいたいことがあるような気がしています。
花どうしではお互い話し合っているのかな。
いつの日か私も会話に加わることができれば……
庭に安置されている石仏の周りに花壇を作って、花を寄せ植えしてみる。
すると不思議なことに、石仏様がニコニコと微笑み、花たちもニコニコと微笑み、花壇全体が明るく、暖かく、優しい心がいっぱいに広がります。
花の中に仏様が現れてきて、私の心を和ませてくれるのです。
さらに不思議なことには、あちこち掃除をすればするほど、境内全体に神々しく光が差し込みます。
すると疲れていた身体も心も清々しく、とても気分爽快になります。
ですから私は、寺の掃除や花の手入れが大好きです。
また、山野草や雑草、野辺に咲いている可憐で質素な見過ごされそうな花にも、仏様の心は宿っているような気がしています。
まるで仏様が花に生まれ変わったような、そんな飾り気のないありのままの姿を見たとき、ふと、私も素直な心に戻るのです。
花は会話をしてくれないけれど、本堂に安置されている仏様は、私の問いかけに答えてくださります。
「今日はご苦労様でしたね」と慰めてくださったり、善悪の心を教えてくださったり。
また仏様は、その日、その時によってお顔が変化します。
お澄まししていたり、微笑みを浮かべていたり、少々強いお顔をお見せになるときもあるのは本当に不思議なことです。
仏様は、人間が正しい道をしっかりと進んでいくように、いつも私たちを導いてくれているのでしょう。
仏像の姿になっていなくても、あらゆるものに仏様(仏の心)は宿っています。
本当に私は、毎日感謝するばかり。
一日一日を大切に、仏の教えを守り、しっかりと歩んでいきたいと思っています。
※ ※
最後までお読みくださりありがとうございました。