坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

父の四国八十八ヵ所巡礼記

台風による停電や断水などのニュースに触れるたびに心が痛みます。

大きな被害を受けている千葉県を中心とする皆さまの心痛いかばかりかとお察し申し上げ、一刻も早く元通りの日常が戻りますことを心よりお祈り申し上げます。

台風後の栃木県は、真夏のような暑さと、午後からの雷雨の日が続きました。


雷鳴轟く中、亡き父の書棚から1冊の本を取り出しました。

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四国八十八札所遍路記


西端さかえ『四国八十八札所遍路記』 (大法輪閣、昭和39年(1964)9月)

本の見返し部分には、父の自筆で次のように記されています。

「昭和四十一年六月二十三日出発 浅川駅~東京駅~大阪~高野山 和歌山港~徳島小松島港へ フェリー船で 港前旅館夜九時着 六月二十五日より打ち始める」

昭和33年8月8日、20歳の誕生日の日から高尾山薬王院にお世話になった父は、お山のお許しを得て、27歳の時に四国八十八ヵ所を徒歩で巡拝する旅に出ました。

本のページをめくってみると、日々の様子が詳細に書き留められています。

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例えば、写真のページは「第37番 藤井山 岩本寺」あたりです。本文の横には、このような鉛筆書きの書き込みがあります。

「三日間世話になりし寺岩ノ不動尊に別れを告げ朝七時半出発。途中二ツ岩大師(番外、須崎市のはずれ)を参拝」

「十八日出発。三十七番岩本寺へ夕刻七時半着。本坊に同遍路(バス利用者)者と籠。少し無理せし為か足少し痛し」

「朝六時起床。七時半岩本寺出発。本日も快晴。国道五十六号線道悪し。ほこりに悩む。途中、不破原にて昼食。山梨実る。柿の実も青く、墓の日影にて休憩(十二時二十分より一時半迄)」

7月下旬の炎天下だったのでしょうか。まるで一緒に旅をしているかのような気持ちになります。

本の最後の書き込みは、

「大阪難波へ出、大阪発九時三十六分「銀河」急行の夜行にて東京着。朝九時三十三分不動院。山着二時。無事、五十六日ぶりに、終る」

でした。高野山からそのまま高尾山のお山に直行したのでしょう。帰りの電車賃でお金を使い果たし、一文無しになっていたようです。

生前は手に取ることもなかった父の蔵書。本の中ではありますが、若き日を追体験しました。

父は晩年までこの巡礼の旅での出来事を話していました。今でも思い出します。

・高知県の海沿いの道は長いぞ。どこまで歩いても先が見えないんだ。おまけに元来た道を戻ることもある。人生と同じだよ。

・托鉢したお金はその場で見ちゃダメだ。一日の終わりに見えないように袋の中でまぜる。頂いた額によって心が変わらないように。

などなど…うれしそうに話していました。

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最後までお読みくださりありがとうございました。