坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

283年前の墓碑


今日は八十八夜。末広がりの数字が並ぶ日です。
初夏の日差しの中、皆さん忙しそうに農作業をされています。


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お寺の庭も日に日に新緑に包まれてきました。
見づらいかもしれませんが、飛び石の奥の方(本堂前)を直してみました。境内に埋もれていた大谷石を掘り起こして敷き詰めました。これで、梅雨時でも足元が汚れずに歩けるでしょうか。

こちらは、池の上にある薬師堂です。
薬師堂の起源は、普濟寺が建立された永禄2年(1559)をさかのぼる、天文元年(1532)4月8日の創建とされます。金枝城の守りとして城の東側に建てられました。

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以前からハクビシンの寝床となっていて困っていましたが、この度、途中になっていた屋根をふさぐ作業が完了しました。


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一部、真新しい木材が見えますでしょうか。
この時期を考慮して、いつの間にか直していってくださいました。有り難いですね。

ただ他のところを見てみると……

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蜂の巣が作られたりしています。そのうち取り除く必要がありますね。

薬師堂の隣には、このような石碑があります。

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こちらは、元文2年(1737)に建立された普濟寺中興の祖の宥誉法印(12世)の墓碑です。昭和51年(1976)に、かつて普濟寺があった裏山の旧地(小字 内越、三部経塚)から発見されました。

宥誉は、正徳4年(1714)に、お寺を現在の地(小字 屋敷通)に移築した方です。薬師堂に安置されている薬師如来像や十二神将像には、台座に宥誉の名前が記されていて、その時期の開眼と分かります。

機械もない時代の境内整備は、きっと大変なものだったでしょう。壇信徒の皆さんと、汗水流して努力した往時の姿が偲ばれます。

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最後までお読みくださりありがとうございました。