今日は八十八夜。末広がりの数字が並ぶ日です。
初夏の日差しの中、皆さん忙しそうに農作業をされています。
お寺の庭も日に日に新緑に包まれてきました。
見づらいかもしれませんが、飛び石の奥の方(本堂前)を直してみました。境内に埋もれていた大谷石を掘り起こして敷き詰めました。これで、梅雨時でも足元が汚れずに歩けるでしょうか。
こちらは、池の上にある薬師堂です。
薬師堂の起源は、普濟寺が建立された永禄2年(1559)をさかのぼる、天文元年(1532)4月8日の創建とされます。金枝城の守りとして城の東側に建てられました。
以前からハクビシンの寝床となっていて困っていましたが、この度、途中になっていた屋根をふさぐ作業が完了しました。
一部、真新しい木材が見えますでしょうか。
この時期を考慮して、いつの間にか直していってくださいました。有り難いですね。
ただ他のところを見てみると……
蜂の巣が作られたりしています。そのうち取り除く必要がありますね。
薬師堂の隣には、このような石碑があります。
こちらは、元文2年(1737)に建立された普濟寺中興の祖の宥誉法印(12世)の墓碑です。昭和51年(1976)に、かつて普濟寺があった裏山の旧地(小字 内越、三部経塚)から発見されました。
宥誉は、正徳4年(1714)に、お寺を現在の地(小字 屋敷通)に移築した方です。薬師堂に安置されている薬師如来像や十二神将像には、台座に宥誉の名前が記されていて、その時期の開眼と分かります。
機械もない時代の境内整備は、きっと大変なものだったでしょう。壇信徒の皆さんと、汗水流して努力した往時の姿が偲ばれます。
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