坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

弘法大師空海のお話㉑ ~ 土佐国での修行、霊瑞として飛び来たった明星 ~ 「法の水茎」143


雨の似合う花が咲いてきました。

 

恵みの雨を待ち望んでいるかのようです。

さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。お大師さまが土佐で行った「虚空蔵求聞持法」と、口中に飛び来たった明星のその後について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。



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「法の水茎」143(2024年5月号)




  紫藤の露の底に

  残花の色

  翠竹の姻の中に

  暮鳥の声

(『和漢朗詠集』源相規)

(散り残った紫色の藤の花が、露にしっとりと濡れて色あせないでいる。翠色の竹がぼうっと霞んでいる中から、鴬の声が聞こえてくる)

 時の流れは早いもので、5月5日に二十四節気の「立夏」を迎えました。木々の新緑が青空にくっきりと映えて、辺りには爽やかな風が吹きわたっています。水を張った田んぼには蛙が賑やかに鳴いて、初夏の訪れを告げているかのようです。

 冒頭の漢詩は、立夏を過ぎても残る春らしさを歌ったものです。日に日に夏めきつつもなお色鮮やかな藤の花や、春霞の奥で囀る鴬の声に、去りゆく春の「余韻」を感じているのでしょう。『徒然草』155段に「春はやがて夏の気を催し」(春はそのまま夏の気配を用意し)と見えるように、春と夏との境目をはっきり分けることはできません。「余春」という言葉があるように、初夏の中にも春の「余情」(味わい)が含まれているのです。

 この時期は新年度の慌ただしさから少し解放される一方で、その疲れから身体に不調が表れやすい頃でもあります。先のことばかりを考えていると、ついつい心が波立ってしまうものです。春の名残を探し求めるように、時にはゆっくりと立ち止まってみませんか。心の「余裕」(ゆとり)は、穏やかな日常への第一歩となるものでしょう。

 さて今回も、全国津々浦々に残る弘法大師空海(774~835)伝説を垣間見つつ、お大師さまの「余薫」(時を経ても残る恩恵)を感じてみたいと思います。

 先月号では、佐渡の「影ノ神」伝説を取り上げました。佐渡については、例えば『曽我物語』に「東は安久留・津軽・外の浜、西は壱岐・対馬、南は土佐、北は佐渡」と見えるように、東の青森、西の長崎、南の高知とともに、日本の北の果てとも認識されていたようです。そこで今月号では、こうした四方の境界から南に位置する四国の土佐(今の高知県)を取り上げてみます。

 四国といえば、平安時代の流行歌を採録した『梁塵秘抄』には「四方の霊験所」(全国の霊験あらたかな寺社)として「(中略)土佐の室生戸 讚岐の志度の道場とこそ聞け」(土佐の室戸、讃岐(今の香川県)の志度の道場と聞いている)と歌われています。ともに古くから人々)の信仰を集めていた海沿いの霊場です。

 若き日のお大師さまも、四国での修行に励まれました。『今昔物語集』には「阿波国(今の徳島県)にある「大滝嶽」に行って虚空蔵の法を行うと空から大きな剣が飛んできて、土佐国の「室生門崎」(室戸岬)で求聞持の行を観念していると明星が口に入った」(『今昔物語集』)と語り継がれています(『法の水茎』123)。

 お大師さまが行った「虚空蔵求聞持法」とは、虚空蔵菩薩を本尊として修する「記憶力を増大するための修法」です。空から大剣や明星(金星)が飛び来たったのも、お大師さまの祈りが通じたことを示す霊瑞(めでたく不思議なしるし)であったのでしょう。

 「明星」に注目すれば、仏教を開かれたお釈迦様も、若き日の苦行の中で「明星出づる時、廓然として大悟す。無上正真道を得」(明星が現れたとき、心が大空のように晴れて迷いを断ち切った。真理を悟ることができた)と説かれています(『修行本起経』など)。お大師さまの明星も、暗い洞窟(御蔵洞・御厨人窟)の中で一心に祈った末に感得した一条の光(光明)であったことが想像されます。

 ところで、お大師さまの口中に飛び入った明星は、その後どうなったのでしょうか。室町時代の辞書『壒嚢鈔(あいのうしょう)』には、次のような話も語られています。

 お大師さまは明星を海に向かって吐き出されました。すると光は海に沈んでいきました。今も海中にあります。闇夜に海を眺めると、消え残った光がキラキラと輝いているのです。

 その場所は南の方角に見えて、遠くは補陀落を眺めることができます。高い岩が聳え立っていて、それは遙か彼方にある鉄囲山(仏教で世界の中心にある須弥山をめぐる最も外側にある鉄の山)を限りとする大海原です。(中略)

 お大師さまは和歌を詠じました。

  法性の室戸といへど我がすめば

   有為の浪風よせぬ日ぞなき

        (『壒嚢鈔』巻16)

 海の彼方にあるという「補陀落」とは、観世音菩薩が住むという南の霊地を意味します。この海域については、先に見た『梁塵秘抄』に「土佐の船路は恐ろしや」(土佐への船旅は恐ろしいよ)として「(中略)御廚の最御崎 金剛浄土の連余波」(お大師さまが修行した御厨人窟のある最御崎(室戸岬)、金剛頂寺のあたりに寄せ連なる波よ)と歌われているように、いつも激しい荒波が立ち騒いでいました。

 お大師さまが詠まれた「法性の」の歌については以前述べましたが(『法の水茎』124)、荒波の辛苦は「有為の浪風」(つらい無常の波風)となってお大師さまにも吹き付けていたでしょう。

 お大師さまの祈りは明星となって現れ、虚空からお大師さまを通って、補陀落を望む海底へと飛び去りました。お大師さまが唐(中国)から投じた独鈷杵がとどまったとも伝わる土佐国は、荒波に耐え、今も明星の「余耀」(輝き)がきらめく聖地と言えるでしょう。



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