坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「無常」のお話③~『方丈記』序章、滅びを重視した無常観~「法の水茎」74

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梅雨入りして、お寺もしっとりと潤っています。

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雨の参道

雨上がりには、ホトトギスの声もお山全体に響き渡っています。
先日までは鶯だったのに、季節の移ろい早いですね。


今回の文章は、「無常」をテーマとして、『方丈記』序章に見られる「滅びを重視した無常観」について書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」74(2018年8月記)





 7月は異常気象の連続でした。とりわけ台風7号が引き金となった大雨は、西日本全域に甚大な被害をもたらしました。まずは豪雨により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、一刻も早い復旧をお祈り申し上げます。

 さらに中旬からは猛暑が続いています。23日の「大暑」の日には、埼玉県熊谷市で41・1度という国内最高気温を記録しました。気象庁からは「命に関わる危険な暑さ」との警告も出されています。暦の上では、8月7日に「立秋」を迎えますが、今しばらくは、熱中症への万全の対策をお願いいたします。

  時により すぐれば民の 嘆きなり
   八大竜王 雨やめたまへ
         (源実朝『金槐和歌集』)
(ありがたい恵みの雨も、時によって降りすぎると民衆の悲しみになります。八大竜王よ、どうか雨を止めてください)

 これは、鎌倉幕府3代将軍となった源実朝(1192~1219)の家集『金槐和歌集』の最後を飾る和歌です。今から800年ほど前の建暦元年(1211)7月、鎌倉は大雨に見舞われ、天空に満つるほどの洪水に遭いました。弱冠二十歳の実朝は、民の嘆き悲しみに対して、一人本尊の御前に座って祈りを捧げています。

 八大竜王は、航海の守護神や雨乞いの本尊です。海や雨を支配するところから、実朝は雨止み(日乞い)を祈願したのでしょう。歌の上の句で、雨も度を超えると「無情の雨」となることを示し、下の句ではその思いを八大竜王に訴えかけています。

 実朝は、若き日から『新古今和歌集』の撰者としても著名な藤原定家(1162~1241)から、

  詞は古きを慕ひ、心は新しきを求め、

  及ばぬ高き姿を願ひて
            (『近代秀歌』)
という和歌の手ほどきを受けていました。この歌には、和歌の高みを目指していた歌人としての姿と、理想の国を思い描いて神仏に対峙し、心の内の強い願いを堂々と申し述べた為政者としての姿を見ることができるでしょう。

 ところで、太宰治(1909~1948)に『右大臣実朝』という小説があります。そこには、実朝が藤原定家に学んで「古今独歩の大歌人」となったことに加えて、大雨のあった建暦元年10月に鴨長明(1155?~1216)と対面して「和歌の奥儀を感得」したことも語られています。鴨長明の代表作『方丈記』には、養和元年(1181年)に発生した大飢饉(養和の飢饉)に触れる中で、「ある年には春と夏に干ばつ、ある年には秋と冬に大風や洪水などの良くないことが続いて、穀物が全て実らない」と記されています。実朝との面会の際にも、和歌とともに、こうした自然災害について話題に上ったでしょうか。

 『方丈記』では、実際に目の当たりにした大火・辻風、遷都、飢饉、地震という災害(五大災厄)を書き留めつつ、この世の「人と栖(すみか)(住居)の無常(むじょう)」を語っています。

 例えば、冒頭の序章には次のように見えます。

 宝石を敷き詰めたように美しい都の中で、棟(建物)を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代を経ても無くならないものだが、これは本当にそうかと調べてみると、昔から存在していた家というのは極めて少ない。あるものは去年焼けてしまって、今年造ったものである。あるものは大きな家が落ちぶれてしまって、小さな家となっている。

 その家に住む人もこれと同じである。場所も変わらず人も多いけれども、私が昔会ったことのある人は、2、30人のうちに、わずかに1人か2人くらいである。朝に人が死に、夕方に人が生まれるという世の定めは、ちょうど消えたり現れたりという水の泡に似ている。
           (『方丈記』序章)
 長明は、一見何も変わらないように見える住まいも、よくよく観察してみると変化しており、それは人の生死にも同様に見出されると語っています。水の泡が、「一方では消え、一方では生まれる」ように、この世は「消滅」と「発生」(生成)とが繰り返されています。この「滅びを重視した無常観」は、ある意味で無常の本質を、分かりやすく説き明かしていると言えるでしょう。

 ただし、こうした無常観は、この度の西日本豪雨のような災害を前にしては理解されないものかもしれません。一変してしまった現実への嘆きを前に、私たちはどのような一歩を踏み出せば良いのでしょうか。

  色も香も むなしと説ける 法なれど
   祈る験は ありとこそ聞け
       (『金葉和歌集』藤原忠通)
(色も香も儚いと説く仏法だけれど、祈る効き目があると聞くよ)

 この歌は、三日三晩止まなかった大雨に対して、人々が『般若心経』を一心にお唱えした際に詠われたものです。国家の安寧と民の幸福を祈った実朝のような、大きな志には及ばないながらも、無常の世に生きる多くの命に、ただひたすらに寄り添っていきたいと考えています。

     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。




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