坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「道のり」のお話⑨ ~ 絶壁を渡る「籠渡し」、歩み寄りの心を育む ~ 「法の水茎」165


夕日に向かって手を合わせました。
美しい夕焼けでした。


玄関のガラスをすり抜けた光が、漆喰の壁に長く伸びていました。



今月の『高尾山報』「法の水茎」は、「北陸道」から川を遡って、山間に伝わる「籠渡し」の説話を取り上げてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」165(2026月3月)

 

 

 春爛漫を迎えて、お寺の掲示板には「桜梅桃李」と書かせていただきました。この言葉は、鎌倉時代の説話集『古今著聞集』に、

  ああ、
  春には
桜梅桃李の花あり、

  秋には紅蘭紫菊の花あり。

  みなこれ

  錦繍の色、酷烈の匂ひなり。

(ああ、春には桜・梅・桃・李の花が咲き、秋には紅色の蘭に紫色の菊が咲く。すべてみな錦のような色合いと濃厚な香りを放っている)

と見えます。春の花には可憐さが、秋の花には艶やかさが感じられるでしょうか。季節ごとに咲く色とりどりの花々は、一つ一つが唯一無二の存在として、そのままの姿で光輝いています。

 とは言うものの、

  待てといふに散らでし止まる物ならば

   なにを桜に思ひまさまし

      (『古今集』よみ人しらず)

(待てと言って散らないでいてくれるなら、どうして桜を好きになるだろうか。散ってしまうからこそ、ますます恋しく思うのだよ)

という和歌もあるように、いつかは風に誘われて散ってゆきます。物事の移ろいは時に悲しみを伴いますが、自然の中で繰り返される花のリレーを楽しみながら、この世の無常(移り変わり)を深く観じることができればと思います。

 冬の間は雪に閉ざされていた「越の国」(北陸地方)にも穏やかな春が訪れているでしょうか。先月号では旧北陸道の越後国(新潟県)を歩きましたが、今回はさらに先へと進んでみましょう。

 越中国(富山県)に入ると、七大河川と呼ばれる大きな川を渡ることになります(黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川、庄川、小矢部川)。これらの河川は、富山平野の背後に聳える立山連峰や飛騨山脈(北アルプス)を源流としています。桜の時期を迎えても、山々は白銀の冠を頂いているでしょうか。豊富な雪解け水が、裾野の平野に豊かな恵みをもたらしています。

 立山連峰を含む飛騨山脈は、古くから「神々が宿る山」として崇められてきました。中でも立山は、富士山・白山とともに日本三霊山の一つに数えられ、多くの修験者(山伏)が厳しい修行に励んできた山岳信仰の聖地でもあります。

 平地から山を越えて飛騨国(岐阜県)へと向かう道のりは険しいものでした。富山湾で捕れた魚を運んだ飛騨街道(通称「ぶり街道」)は道幅も狭く、いくつもの難所が立ちはだかっていました。

 また、七大河川の一つで一級河川の庄川(古くは「雄神川」)には、川に添って富山県高岡市から岐阜市へと通じる国道156号線が走っています。以前は危険な区間として、国道番号をもじって「イチコロ」と称された酷道でもありました。

 かつて山間の橋も架けられていない箇所では、川の両端に大綱を張り渡して、人や物を乗せた籠を吊して対岸へと運んでいたそうです。「籠渡(かごわた)し」と呼ばれる乗り物は、歌川広重(1797~1858)の「飛騨籠渡図」にも描かれており、天台座主快修(1100~1172)が越の国(越州)での修行の後に詠んだ、

  身を捨ててかごの渡をせしときも

   君ばかりこそ忘れざりしか

    (『夫木和歌抄』大僧正快修)

(この身を投げ出して籠の渡しをした時でさえ、あなたのことだけは忘れずにいましたよ)

という和歌も残されています。急流を挟んで絶壁を渡る「籠渡し」は、我をも忘れるほどの命懸けの移動であったのでしょう。

 この「籠渡し」をめぐっては、西行(1118~1190)仮託の説話集『撰集抄』に、次のような話が伝わっています。

 越の国に修行に出たときのこと。難所の籠の渡りにもう少しというところの山際で、一人の山伏(僧)と一人の男に出会いました。

 山伏は西行に向かって「私は諸国をめぐって修行する僧である。途中、敵に追われているこの男と道連れになったが、助けるすべなく万策尽きてしまった」と語ります。男のほうも「たった一日の同行にもかかわらず、これほどまでに心配してくださって有り難い」と言って涙を流しています。

 すると山伏は、背負っていた笈(僧が背に負う箱)の中に男を隠して歩き始めました。途中、武器を持った十人ほどの敵の男と遭遇すると、落ち着いた素振りで「捜している男は、別の方向に進んでいきました」と伝えます。男どもは慌てて馬で走り去り、同行の男は命拾いをしたのでした。

 ああ、なんと貴い山伏の心よ。観世音菩薩の慈悲心のように、他人の悲しみを自分の悲しみとし、他人の悦びを自分の悦びと思えることが「真の仏法」というものなのです。

       (『撰集抄』)

 「袖)振り合うも多生の縁」という諺があります。山伏は、道中のちょっとした出会いにも宿縁(前世からの縁)を感じていたのでしょうか。ただでさえ心細い深山幽谷にあっても、他者への慈悲心(情け深い心)を忘れずに持ち続けていた姿は、まさに「山伏心」と言うべきものでしょう。

 この話の最後には、広く知られたお経の一節が引かれています。

  自利利他心平等

  是則名真供養仏

(自分の幸せと他人の幸せのどちらも大切にする心は、そのまま「仏さまの心」なのです)

 歩み寄りの心を育めば、仏さまに近づいてゆけるのでしょうか。落花心あり……春風に散る花びらを眺めながら、それでもなお流水に身を任せようとする「花の心」に寄り添ってみます。

 

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最後までお読みくださりありがとうございました。