庭の黒い実。
四つ一組になっています。

初夏に白い花を咲かせる白山吹でしょうか。
しろ‐やまぶき【白山吹】
バラ科の落葉低木。よく分枝し、卵形の葉が対生する。初夏、ヤマブキに似た白い4弁花を開く。庭木にされる。《季 春》
『デジタル大辞泉』
黒い実から白い花なのですね。開花が待ち遠しいです。
今月の『高尾山報』「法の水茎」は、「北陸道」を辿りながら、森鷗外『山椒大夫』や「親不知子不知」に伝わるお話を取り上げてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」164(2026月2月号)
池の凍の東頭は
風度つて解く
窓の梅の北面は
雪封じて寒し
(『和漢朗詠集』藤原篤茂)
(池の氷は、春風によって東岸から解け始める。けれども、北側の窓辺の梅は、雪が枝を閉じ込めたまま冷え切っている)
長期にわたって居座っていた寒波も、立春を過ぎて少しは和らいできたでしょうか。解け始めた冬氷を眺めなら、じっとしていた動物たちもそろそろ活動の準備を始めているかもしれません。
冒頭の漢詩に詠われているような、春先から夏にかけて吹く暖かな東寄りの風は「東風(こち)」とも呼ばれます。穏やかな「南風」を「はえ」と呼ぶ地方があるのを除けば、「北風」にも「西風」にも異なる名称は見られません。春を告げる心地良い風には、いよいよ寒さが緩んできたという特別な想いが込められているのでしょう。
「東風(こち)」には、春先の「梅東風(うめごち)」「雲雀東風(ひばりごち)」、初夏の爽やかな「青東風(あおこち)」と言った組み合わせも見られます。この時期であれば、乾燥しきった日本列島に、雨気を含んだ「雨東風(あまこち)」の到来も待ち望みたいところです。
暦の上での春とは言うものの、まだまだ冬景色が広がっている地域もあるでしょう。この冬は東北から北陸にかけての日本海側を中心に豪雪となりました。昨年の12月号(「法の水茎」162)では、直江津(現在の新潟県上越市)に至る「北国街道」を取り上げましたが、本格的な春の便りはもう少し先となるでしょうか。今月号では、寒さ厳しい直江津から「北陸道」へと分け入ってみたいと思います。
「北陸道」は五畿七道の一つで、古くは「北陸の道(くぬがのみち)」とも呼ばれました。京の都を出て、近江(滋賀県)から主に日本海沿岸を通って越後(新潟県)へと通じる道は、日々の生活や経済を支える物流の重要路でもありました。
海路と陸路の両面において交通の要衝であった直江津といえば、森鷗外(1862~1922)の短編小説『山椒大夫』が思い起こされます。平安時代末期、岩代(福島県の一部)の信夫郡から筑紫(九州)へと向かう旅をしていた家族は、この直江津の地で人買いの山岡大夫によって引き離され、母は佐渡へ、幼い姉の安寿(14才)と弟の厨子王(12才)は丹後(京都府北部)へと泣く泣く売られていきました。
船に乗る前、母親は陸路と船路のどちらにすべきかを尋ねます。すると山岡大夫は「陸を行けば、じき隣の越中の国に入る界にさえ、親不知子不知の難所がある」と答えたのでした。
「親不知子不知(おやしらずこしらず)」(新潟県糸魚川市市振)までは、直江津からの距離およそ65キロメートル。今でこそ景勝地として知られていますが、かつては「天険親不知線」と呼ばれるほどの北陸道最大の難所でもありました。
北陸道は善光寺にお参りするための参詣路でもありましたが、室町時代中期の歌僧、堯惠(1430~?)は、この親不知の地で、
波分て過行ほどはたらちねの
親のいさめも忘らるる身よ
(堯惠『善光寺紀行』)
(波を分けて通って行けば、親の教えも見失ってしまう我が身であるよ)
と詠っています。聳え立つ断崖絶壁を横目に波打ち際を歩む道は、多くの旅人を苦しめたことでしょう。
「親不知子不知」の名称は、この難所を通り抜ける際に親は子を忘れ、子は親を気にかける暇が無かったからとも、平清盛(1118~1181)の弟、頼盛(1132~1186)の妻が、夫を慕ってこの地を通りかかった折、2才になる愛児を取り落としてしまった際に詠んだ、
親知らず子はこの浦の波まくら
越路の磯のあわと消えゆく
(愛し児を波にさらわれてしまった。この浦の荒波を枕にして、越路の磯の泡のように消えてしまったよ)
という和歌が由来となったとも伝えられています。現在、国道8号線沿いの親不知記念広場(展望台)には、この悲話に基づくブロンズ像(「愛の母子像」)が設置されていますが、我を忘れて駆け抜けた古の人々の面影や、夫婦・親子の絆の大切さをあらためて教えてくれているかのようです。
なお、小説『山椒大夫』の結末は、生き別れとなった母親と息子厨子王が再会を果たす形で終わっています。埃にまみれ、年老いて盲目となっていた母親は、刈り取った粟をついばみに来る雀を竿で追い払いながら、次のような歌をつぶやいていました。
安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生あるものなれば、
疾う疾う逃げよ、逐わずとも。
(安寿が恋しい、よっこらしょ。厨子王が恋しい、よっこらしょ。鳥も命があるからは、すぐにも逃げよ、追わずとも)
「親子の道の闇」という言葉があるように、断ちがたい親子の情愛は、時に心を迷わせ、時に分別を失わせるものなのでしょうか。雀の気配に泣き別れた子ども思い出し、命ある限り逃げるようにと願い続ける母親の想いが伝わってくるようです。
森鷗外が『山椒大夫』のもととした説経「さんせう太夫」では、厨子王が守り本尊としていた地蔵菩薩を母親の両目に三度当てて祈ったところ、すぐさま病が癒えて鈴を張ったような眼が見開いたと締め括られています。多くの苦難を受けながらも、お互いを思いやる気持ちを生涯にわたって持ち続けた姿に、お地蔵様が「親子の道の光」をふり注いでくださったのでしょう。
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最後までお読みくださりありがとうございました。
