坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

弘法大師空海のお話㉞ ~ お大師さまの和歌は宗派を超えて ~ 「法の水茎」156


お寺の玄関前にキレイな蝶々がいました。


ピンボケしてしまいましたが。


どうやら「オオムラサキ」のようです。

オオムラサキ

定義日本に産する大形の最も美しいチョウの一種.節足動物門 昆虫綱 チョウ目(鱗翅目) タテハチョウ科

幼虫はエノキ・エゾエノキを食べ,チョウは年1回6~7月ごろ出現.日本およびその周辺のせまい地域だけに産する.日本の国蝶.

旺文社『生物事典』より


国蝶に選ばれるだけあって、とても目を引く紫色の輝きでした。


さて今月の『高尾山報』「法の水茎」は、お大師さまの和歌の解釈と、宗派を超えた広がりについて
書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

※      ※

「法の水茎」156(2025月6月号)

 

  ほう ほう 蛍来い

  あっちの水は苦いぞ

  こっちの水は甘いぞ

  ほう ほう 蛍来い

 お馴染み、童謡「ほたるこい」の歌い出しです。幼い頃の思い出として、皆でこの曲を歌いながら沢辺を歩かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。梅雨の宵晴れの蒸し暑さを涼みながら、蛍を捕まえる「蛍狩」は、古くから夏の風物詩として親しまれてきました。それは私にとっても、夏の夜の楽しく懐かしい思い出の一つとなっています。

 「蛍」の語源については、「火垂る」「火照る」「星垂る」などが挙げられ、「火」や「星」といった光るものに関係していると言われています。入り乱れて飛ぶ光の軌跡が、滴る(垂れる)一瞬の輝きを放つのでしょう。

 「火」(灯火)や「星」の明かりは、昔から死者の魂にも喩えられます。生き生きと揺れ動く光は、あの世へと旅立った「亡き人の面影」のようでもあり、流れるいくつもの光の筋は、次から次へと降り注ぐ「活きた流れ星」ようにも感じられます。

 ちなみに、この童謡「ほたるこい」には、続きの歌詞があります。中には、一見ではよく分からない言葉も含まれています。

  天ぢく

  あがりしたれば

  つんばくらに

  さらわれべ

 ここに見える「天ぢく」は「天竺」(空の高いところ)、「つんばくら」は東北地方を中心とする方言で「燕」を意味するそうです。「高いところに行ってしまうと、燕にさらわれてしまうから、こっちに来てほしい」という気持ちを、蛍に届けているのでしょう。

 私が住まいする栃木県の自坊近くにも、一時期よりも水が綺麗になったからなのか、数年前より蛍が飛ぶようになりました。「蛍の多く飛びちがひたる」(『枕草子』)とまではいきませんが、一つ二つの光に向かって「こっちの水は甘いぞ」と歌いかけてみるつもりです。

 さてこれまで、全国に残る弘法大師空海(774~835)伝説を考察する中で、お大師さまの和歌もいくつかご紹介してきました。お大師さまがお詠みになったとされる歌は、他にも残されていることから、今回はあらためて数首の詠を取り上げてみたいと思います。

 ところで、お大師さまの和歌はどれほど伝わっているのでしょうか。例えば善通寺(真言宗善通寺派総本山)に所蔵される『弘法大師年譜』という写本を見てみると、お大師さまに関わる「文学」活動として、『文鏡秘府論』6巻、『性霊集』10巻、「和歌」、『玉造小町』、「書道」の5項目が挙げられています。「和歌」については、

 和歌も三十首ばかり残れり

  雪といひ氷と水の変はれども

   同じ流れの山川の水

  悟り得て帰りて見れば古の

   迷ひといひし心なりけり

  あしゝともよしともいかでいひはてん

   折り折り変る人の心を

と記されており、お大師さまの30首ほどの伝承歌の存在とともに、3首の空海歌が挙げられています。ここには後の歌論に影響を与えた詩文作法書の編者として、また漢詩人・書家としての天分とともに、歌人としての才能が語られています。

 3首のうち「雪といひ」の歌は、既に取り上げました(「法の水茎」150)。「雪・氷・水は別々のように見えても、もともとは同じもの」と詠われています。

 2首目の「悟り得て」の歌には、「若し始覚を得れば還て本覚に同ず」という詞書が付されています。「始覚」は「修行して迷いを捨て去り悟りを開いた状態」を表し、「本覚」は「人間にもとから備わっている仏の悟り」を意味します。「悟り得て」は「始覚」、「迷ひといひし心」は「本覚」に対応しているとみられることから、この歌では「「悟り」を得てから立ち返ってみると、それは遠く過ぎ去った日々に「迷い」と言っていた心と同じであったよ」として、悟った後の境地を説かれていらっしゃるようです。

 3首目の「あしゝとも」の歌では、「悪し」と「善し」という言葉が詠み込まれています。「善し悪しをどのようにして言い切ることができるだろうか。その時その時に変化する心であるというのに」と詠まれています。季節の移ろいのように日々心も変化する無常の世にあって、善悪を一口に判断するのは難しいものです。あるいは「善悪不二」という仏教語もありますが、先ほどの「悟り得て」の歌にあった「迷いと悟り」のように、「善も悪」もお大師さまの眼からすれば別物ではないと映っていたのかもしれません。

  さとりとはさとらでさとるさとりなり

   さとるさとりは夢のさとりか

       (『拾遺風体集』弘法大師)

(覚りの世界とは、無心の境地で覚るのが真の覚りであり、意識して覚り得た覚りは夢のような覚りである)

 こちらも既に取り上げた空海歌です(「法の水茎」139)。鎌倉期の私撰集『拾遺風体和歌集』に採られていますが、なぜか『弘法大師全集』の「和歌集」には収録されていません。前回は歌の内容について考察しましたが、今回はこの歌がどのように受け継がれていったのかという享受の一端を見てみたいと思います。

 江戸初期の僧侶、鈴木正三(1579~1655)が著した仏教書『驢鞍橋』(万治3年〔1660〕刊)に、

  古歌に、「悟とは、悟らで悟る悟也。悟る悟は夢の悟ぞ」と有。誠に悟る悟はあぶないことぞ。我も悟らぬ悟がすきなり。法然などの念仏往生も、悟らぬ悟也。

           (『驢鞍橋』下)

と見えます。正三が仏道修行の心構えを説く中で「さとりとは」(悟とは)の歌を引用しています。注目されるのは、歌が空海詠としてではなく「古歌に」として語られている点でしょう。この歌が当時から「古歌」として広まっていたのかは知る由もありませんが、空海歌が法然上人(1133~1212)の「念仏往生」の教えにも通じるものとして取り上げられています。

 さらに『一遍上人念仏安心鈔』(寛永頃〔1624~45〕成立)にも、この空海歌「さとりとは」が引かれており、

  此歌は念仏を往生と決定するを了とよめり。

と説かれています。一遍上人(1239~1289)の念仏往生を表す歌として示されている他、「禅歌」(禅の歌)として挙げられている書物も見られます(竹田黙雷述『黙雷禅話 続』明治40年〔1907)。

 このように「さとりとは」の歌は、「古歌」としての広がりを見せながら徐々に詠者の手を離れていきました。もはや空海歌であるのか否かは関係なく、むしろ宗派を超えて法の門(仏の教え)を説き明かす歌として世間に受け入れられていったようです。その様はとりもなおさずお大師さまの多彩な魅力の表れでもあり遺徳を示すものと言えるでしょう。



     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。