3月に入って暖かさが増してきました。
こちらは勉強部屋からの眺めです。
窓辺の白梅もずいぶんと咲いてきました。
この景色は子どもの頃から変わっていません。
最近は古地図もブームのようで、このような古地図アプリをスマートフォンにインストールしてみました。
さっそくお寺上空からの航空写真を見てみました。ほぼ現在の様子です。
けっこう鮮明です。
お寺に隣接する寺跡の竹や木は、まだ伐採されていませんね。
(過去記事です)
こちらは、国土地理院地図。
まだお寺が2つ記載されています。
左上の金枝城の形もはっきり分かります。
(過去記事です)
国土地理院の陰影起伏写真も見ることができました。
そして、次は1974~1978年の航空写真。
お寺の本堂の屋根が、今と違って赤く見えます。
子どもの頃の記憶がよみがえってきました。
こちらは少し不鮮明ですが、1961~1969年だそうです。
次は、1960~1980年頃の地図。
現在と同じように、西側に蛭田喜連川線の道が走っていますが、お寺の横にも点線で道が描かれています。
蛭田喜連川線は「赤坂」、お寺の横の道は「寺坂」と呼ばれています。寺坂のほうは舗装されていない土の道で、さくら市の市道です。先日、市にお願いして草刈りや倒木の処理をしていただきました。
最後に、こちらが1900年頃の地図だそうです。今から100年程前です。
目の前の川(江川)の流れが蛇行しているようです。お寺の横の寺坂のほうも、はっきり描かれていますね。江戸時代は金枝城の東側にお寺がありましたので参道の延長だったのかもしれません。
古地図を検索してみると、いろいろな発見がありました。この辺りは田舎なのであまり変わっていませんが、都心部では変遷が激しいのでしょうね。
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最後までお読みくださりありがとうございました。