坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

山門の石柱


春を通りこして初夏のような一日でした。

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昨日までは霜が降りていたので、玄関先の福寿草も驚いているのではないでしょうか。うれしそうに花を咲かせています。

こちらは、お寺の山門の石柱です。

 

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「眞言宗智山派 三光山普濟寺 髙尾山大僧正 秀順書」とあります。昭和53年(1978)の建立。文字は、髙尾山薬王院第三十一世山本秀順師(1911~1996)に揮毫いただきました。


今だとパソコンで文字の拡大もできますが、当時はどうしていたのでしょう。原寸大で書いていただいたのでしょうか。

刻んだ文字には、先代の父が赤色を入れたのですが、よくよく見てみると。。。

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色が剥がれ落ちていますね。いずれ修復した方が良いでしょうか。

山本秀順師は「八王子書道界の天皇」と呼ばれた菅沼香風先生(1897~1982)に習ったそうです。

私が持っている、香風会 菅沼静風『菅沼香風遺作集』八王子書道会、1983年2月1日)です。

 

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数多くの作品が収められています。
その中から一つ。

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「雪月風華」

本の末尾には、山本秀順師の文章も載せられています。

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高尾山薬王院に10年ほどお世話になった父も、菅沼先生に習いました。


当時の様子は、父の句集、髙橋秀道『遅日』(髙橋秀城、2016年9月22日)の序文で、髙尾山薬王院第三十二世大山隆玄師がお書きくださいました。たいへん有り難いことです。

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普濟寺の山門石柱は、3名のお檀家さんに御寄進いただいたものです。皆さん、80歳代になられたでしょうか、ますますお元気で嬉しい限りです。これからもよろしくお願いいたします。

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最後までお読みくださりありがとうございました。