紅葉が見頃を迎えています。
遠くからでもよく見えますね!夕日に映えます。
秋風が吹く度に、イチョウの葉っぱがヒラヒラと散っています。
さてこの度、地元のお寺さんの集まりである喜連川仏教会で「コロナ禍で試される私たち」と題する文面を作成いたしました。
以下のチラシを、お寺に置いたり、掲示板に貼ったり、檀信徒の皆さんにお配りしたりなど、お寺さんごとの方法で周知していただく予定です。
私は、来月お檀家さんに配布いたします(FacebookやTwitterにもシェアします)。
[全文]
コロナ禍で試される私たち
新型コロナウイルスの流行により、さまざまに制限される生活が長く続いています。外出しにくかったり、今まであたりまえにできていた活動ができなかったり、ストレスや不満、またウイルスへの不安などを抱えていらっしゃる方も多くいらっしゃることと思います。家で過ごしにくい、安心して過ごせない、イライラするというときには、いったんその場から離れてみてください。お寺にいらしてくださってもいいです。寺族と話すのが心配ならお寺の本堂でぼんやりするのもいいかもしれません。仏さまはいつでも一緒に寄り添ってくださっています。
今回のコロナ禍において、病を恐れるあまり、人に対して心ない言葉を浴びせてしまうという行為がみられること、心を痛めています。相手の境遇を他人事として攻撃する行為は、ひるがえってみれば、自分にはね返ってくるものです。感染しても病状として現れないこともある今回の感染症です。かかっているという自覚症状がなく活動している人もいるかもしれません。予防していても誰もがかかりうるということです。また、外に出て、あるいは対面で仕事しなければならない方々もいます。医療従事者はじめ社会を支えるためにご尽力くださっている方々には本当に頭が下がります。ご自身もご家族も不安な中、社会のために動いてくださっている方たちのおかげで私たちの生活は成り立っています。
私たちは支え、支えられながら生きています。それが見えていることもありますし、見えないところで支えられていることも多々あります。おかげさまの中に生かされている私たちです。不安な中だからこそ、お互い感謝し合い、支え合っていく社会でありたいものです。感染者がでたときに、誹謗中傷で傷つけるのも人ですし、思いやり救う言葉をかけられるのも人です。感染して落ち込んでいる人を、更に追い込むようなことのないよう願うばかりです。感染したとき、ウイルスより人が怖い、とおっしゃった人もいます。ウイルスを予防するのももちろん大事です。同時に、病気による差別や偏見によって傷つく人がないようにすることも大切なことだと思います。
合掌
喜連川仏教会寺院一同
この文面は、喜連川仏教会会長の養泉寺さんがお作りくださったものです。その後、仏教会のご住職様が集まって話し合いも行い、別バージョンとして、以下のものも作成していただきました。
1,苦しくなったらお寺にも足を運んでみてください。
2,自分をいたわることは相手をいたわること。傷つく人がいないように心がけましょう。
喜連川には多くのお寺さんがあります。
気軽にお立ち寄りいただけたらと思います。
この文面を読んでみて、私もお釈迦様の言葉を踏まえた文章を考えてみました。
「仏教を開かれたお釈迦さまは、「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに或いは近くに住むものでも、すでに生れたものでも、これから生れようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ」という言葉を残されました(中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ―』より)。お釈迦さまは、現代のみならず、果てしない未来へと続く全ての生き物の幸せを祈られています。
言うまでもなく私たちは社会の中に生きています。けっして一人では生きられない存在です。このような今だからこそ「おかげさま」の感謝の心を胸に灯してみてはいかがでしょうか。他人の幸せが自分の幸せに感じられるような、みんなが共に幸福な世の中となることを心から祈っています」
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最後までお読みくださりありがとうございました。