お彼岸が近づいてきて、少しずつ過ごしやすくなってきました。
秋の草花も咲き始めています。
相変わらず雑草の生長は早いですね。仏様のお顔が見えるよう草むしりをしなければ。。。
さて、今月の私の文章は、引き続き「時間」をテーマに、永久の彼方まで続く未来と、人間としての「誠の道」について書いてみたものです。よろしければ、お読みいただけますと幸いです。
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「法の水茎」99(2020年9月記)
実るほど頭を垂れる稲穂かな
黄金色に染まった稲穂が、秋の日差しに輝きながら刈り取りの時を待っています。季節は待ちに待った秋の収穫期を迎えました。
9月の異名「長月」は、夜の時間が長くなる「夜長月(よながつき)」を略したものと言われます。昼夜が等しくなるお彼岸を過ぎれば、少しずつ秋の夜長を感じるようになるでしょう。9月は、夏から秋への変わり目でもあるとともに、昼と夜との境目の折節でもあります。日ごとに移りゆく自然に五感を研ぎ澄ませつつ、小さな秋を探してみるのも一興かもしれません。
秋はなほ夕まぐれこそただならね
荻の上風萩の下露
(『義孝集』)
(秋は夕暮れ時が身にしみる。荻(おぎ)の上葉を吹き抜ける涼風や、萩(はぎ)におく玉のようにきらめく露の雫など、いっそう物寂しさを感じさせるよ)
秋は収穫の喜びを分かち合うときでもありますが、何とも言えない物悲しさを感じる折節でもあります。夕暮れ時に鳴く虫の音に囲まれれば、いつしか自分自身も涙もろい泣き虫になってしまうでしょうか。
太陽が真西に沈むお彼岸には、お墓参りをして、ご先祖様に手を合わせてみてはいかがでしょう。秋のお彼岸は、秋分の日を中日(彼岸の中日)とする前後3日間です。普段は遠くに感じられる、あの世とこの世が一直線に結ばれて、ご先祖様を敬う気持ちがいっそう深まる期間です。
先月号でも述べたように、仏教では、仏様が住まうあちらの世を「彼岸(ひがん)」、私たちが生きているこの世を「此岸(しがん)」と言います。この両岸の間には大きな川が流れていて、向こう岸からやってくることはできても、こちらから向こう岸へ辿り着くのは容易なことではありません。
彼岸は、私たちにとっての「来世」でもあります。「来世」は「後世(ごせ)」「未来世(みらいせ)」とも呼ばれ、過去世・現在世とともに「三世(さんぜ)」の一つに数えられます。仏教語で未来の果てを「未来際(みらいさい)」と言いますが、過去が人知を超えた久遠の昔から今に続いているように、未来もまた果てしない永久の彼方まで続いているのです。
とは言うものの、今生きている私たちの未来に目を向ければ、人の一生には限りがあるのが現実です。寿命が尽きた瞬間に「この世(現世)の未来」は終わりを告げるでしょう。ただ、それは果たして「あの世(来世)の未来」へと続いているのか……それは残念ながら私には答えることができません。ただこの人生を、どのように歩むべきかを模索するばかりです。
鎌倉時代に生きた無住(1226~1312)という僧侶は、この世の生き方について、自らの人生を重ねながら次のように記しています。
(人は)過去を思い返し、未来に思いを馳せてばかりいて、今現在のことが全く見えていない。一瞬一瞬に滅びていくこの身を大切にして、一歩一歩短くなっていく命を守っている。
人間は慌ただしくしていて、死後の冥途が近づいていることも知らない。目の前にある夢のような儚いことばかりを営んで、来世のための誠の道(仏の道)の糧を積まないのは、冷静に考えてみると本当に悲しいことだ。
お金に困らないで羽振りを良くしているのもつまらないのに、それをうらやんで心穏やかでないという世間の常は、実に人間として生まれた甲斐が無いと思われるのだ。
出家前はこのような道理を思い知りながら、仏道を修めようとすることもなかったが、出家後は静かなゆとりの時間もあり、落ち着いた気持ちで月日を送っている。世間を離れずにいた昔を、今になって後悔している。
世の中は思ひ乱れて夏引の
厭はぬほどぞ苦しかりける
(世の中は思いが乱れて、世を避け離れる前のことが、心苦しく感じられる)
(無住『沙石集』)
無住は、僧侶となる前の自分を冷静に見つめています。富貴を追い求め、日々慌ただしい生活を送っていたのでしょう。「富貴にして苦あり、貧賤にして楽しみあり」という諺もありますが、仏の道を歩み、これまでとは違った視点を得たことによって、世の中の苦しみや楽しみは、必ずしも富貴や貧賤とは関わりが無いという境地に辿り着いたのではないでしょうか。
今日という一日も、未来には思い出となるのでしょう。それが「あの世(来世)の未来」だとしても、人間として「誠の道」を歩んだ良き思い出として懐かしむ日が来ればと思います。
現在の果を見て、
過去・未来を知る。
(『熊野本地絵巻』)
(今の結果を見て、過去の原因や、未来の結果を思い知る)
人生の旅路にも、秋という季節はあるのでしょうか。目の前に広がる夕闇に迷い込まないよう、確かな灯を見つけ、力強く歩んでいきたいと念じます。
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最後までお読みくださりありがとうございました。