今朝も冷え込みました。
氷点下10度くらいまで下がったでしょうか。
お寺の池にも薄氷が張りました。
元気に泳ぐコイが、氷越しに見え隠れしています。
昔はここでスケートをした方もいらっしゃるようです。今よりもずいぶん寒かったのですね。
寒空のもとでも、お地蔵様はいつものお姿です。
こちらは修行大師像の近くに居並ぶお地蔵様です。
中には石塔もあります。
高さがありますね。
下の方の四面には文字が彫られています。
磨り減ったり、苔が生えたりして見づらいのですが、ちょっと読んでみました。
<正面(東方)>
「梵字」(ウーン・阿閦如来、金剛薩埵(胎蔵界)、降三世明王、愛染明王)
「経曰若有衆
生書寫此經
置塔中者是
塔即爲一切
如來金剛藏」
<左面(南方)>
「梵字」(タラーク・宝生如来、虚空蔵菩薩)
「卒都婆乃至
若有有情能
於此塔一香
一華禮拜供
養八十億劫」
<裏面(西方)>
「梵字」(キリーク・阿弥陀如来、千手観音、如意輪観音、大威徳明王)
「生死重罪一
時消滅乃至
暫見是塔能
除一切災難
云云」
<右面(北方)>
「梵字」(アク・天鼓雷音如来、不空成就如来、金剛薩埵(金剛界))
「享保十三戊辰申年
十一月吉辰日
三光山十二世宥式建之
善男善女 百四拾人」
梵字の下に刻まれたお経は、不空訳『一切如来心秘密全身舍利宝筐印陀羅尼経』(いっさいにょらいしんひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらにきょう)の一部のようです。
【全身舎利】ぜんしん‐しゃり
1
釈尊の全身の遺骨。竜宮城内に収められたと伝える舎利。ただし遺骨はすべて分散されたから、そのような舎利はないとされる。→全身宝塔
2
仏舎利のこと。
『例文 仏教語大辞典』「全身舎利」の項
宝篋印塔に、金剛界四仏の梵字が刻まれていることが分かりました。
中にはお経が納められているのでしょうか。
【宝×篋印塔】ほうきょういん‐とう
宝篋印経にある陀羅尼を書いて納めた塔。日本ではふつう石塔婆の形式の名称とし、方形の石を、下から基壇・基礎・塔身・笠・相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。のちには供養塔・墓碑塔として建てられた。『デジタル大辞泉』「宝篋印塔」の項
【四仏】し‐ぶつ
2
密教の金剛・胎蔵両界曼荼羅で、大日如来の四方に鎮座する仏。金剛界では、東は阿閦、南は宝生、西は無量寿、北は不空成就。胎蔵界では、東は宝幢、南は開敷華王、西は無量寿、北は天鼓雷音。
『例文 仏教語大辞典』「四仏」の項
普濟寺の宝篋印塔は、享保13年(1728)11月に、普濟寺12世の宥式によって建立されたものでした(宥式については、13世とするものもありますので、さらに調べたいと思います)。
ちなみに普濟寺は、正徳4年(1714)3月8日に中興の祖(12世)の宥誉法印が、金枝城東側から、里の現在地に伽藍を移築造営しました。裏山の旧地には、元文2年(1737)に宥誉法印の墓碑を建立し、経文が埋められています。
普濟寺は、文化7年(1810)2月27日の火災によって本堂が全焼していますので、この宝篋印塔はそれ以前の姿を知っていることになります。お寺の転換期を知っている石碑といえるでしょう。
ひっそりと佇む300年ほど前の石塔にも、近隣の方々140人の思いが込められていたのですね。
あらためて、手を合わせました。
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最後までお読みくださりありがとうございました。