坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

日本のお城~「金枝城」の縄張り図を描いてくださいました~


石段を登ると紅葉に目が留まります。

f:id:mizu-kuki:20200117220649j:plain


花の少ないこの時期は、色づいた木の葉にも心惹かれます。


最近、渡邉敬『日本のお城 縄張図集』(山城出版、2019年12月1日)を購入しました。

f:id:mizu-kuki:20200117221458j:plain



「編集後記」によれば、渡邉さんは17年の歳月をかけて、全国430城の縄張図を描いてきたそうです。喜寿(77歳)を迎えて出版なされたとのことでした。

縄張 なわばり

占有する場所あるいは建築する場所に、その範囲を示すために張った縄の内を指すが、城郭の場合には地形を考慮して防御を固めるために、郭の配置や石垣、堀あるいは天守、隅櫓、多門櫓、門などの構成を計画し設計することを縄張と呼んでいる。戦国時代に発達し、江戸時代の初めには最も複雑な構成ができあがった。天守が現存する城では、姫路城や彦根城など縄張の全容をよく伝えている。

『国史大辞典』「縄張」の項 

 
以下が、目次です。

f:id:mizu-kuki:20200117222335j:plain

目次1

f:id:mizu-kuki:20200117222436j:plain

目次2


すごい数ですね!
長年にわたるフィールドワークに頭が下がります。

栃木県のお城の中には、普濟寺と関わりの深い「金枝城」が掲載されています。
以下に、縄張図を挙げさせていただきます。

f:id:mizu-kuki:20200117222733j:plain

金枝城


お調べくださり、ありがとうございました。

普濟寺の起源は、天文元年(1532)4月8日、金枝城主であった金枝近江守源宗道が、金枝城東側の小字 内越(うちこし、現寺地裏山の高台)に薬師瑠璃光如来堂(通称 薬師様)を建立したのに始まると伝えられています。

この縄張り図ですと、右側に走っている道の辺りに「おみだらせ」と呼ばれる小川(逆川(さかさがわ))が流れているのですが、その道が右下で突き当たったところ(現在は田畑)が、かつて普濟寺が建っていた場所と思われます。ここから、普濟寺12世の宥誉上人の墓碑(元文2年〔1737〕)が見つかっています。

 ※過去の「おみだらせ」の記事です。

www.mizu-kuki.work

 

金枝城については、いろいろな方がお調べくださっています。

www.mizu-kuki.work


地元の方でも、金枝城の存在は知っているものの、その歴史や価値などについては分からないことが多い状況です。こうして教えていただけることを有り難く思っています。


その土地の歴史が明らかになると、地元への愛着がますます増してきますね。

 

     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。