石段を登ると紅葉に目が留まります。
花の少ないこの時期は、色づいた木の葉にも心惹かれます。
最近、渡邉敬『日本のお城 縄張図集』(山城出版、2019年12月1日)を購入しました。
「編集後記」によれば、渡邉さんは17年の歳月をかけて、全国430城の縄張図を描いてきたそうです。喜寿(77歳)を迎えて出版なされたとのことでした。
縄張 なわばり
占有する場所あるいは建築する場所に、その範囲を示すために張った縄の内を指すが、城郭の場合には地形を考慮して防御を固めるために、郭の配置や石垣、堀あるいは天守、隅櫓、多門櫓、門などの構成を計画し設計することを縄張と呼んでいる。戦国時代に発達し、江戸時代の初めには最も複雑な構成ができあがった。天守が現存する城では、姫路城や彦根城など縄張の全容をよく伝えている。
『国史大辞典』「縄張」の項
以下が、目次です。
すごい数ですね!
長年にわたるフィールドワークに頭が下がります。
栃木県のお城の中には、普濟寺と関わりの深い「金枝城」が掲載されています。
以下に、縄張図を挙げさせていただきます。
お調べくださり、ありがとうございました。
普濟寺の起源は、天文元年(1532)4月8日、金枝城主であった金枝近江守源宗道が、金枝城東側の小字 内越(うちこし、現寺地裏山の高台)に薬師瑠璃光如来堂(通称 薬師様)を建立したのに始まると伝えられています。
この縄張り図ですと、右側に走っている道の辺りに「おみだらせ」と呼ばれる小川(逆川(さかさがわ))が流れているのですが、その道が右下で突き当たったところ(現在は田畑)が、かつて普濟寺が建っていた場所と思われます。ここから、普濟寺12世の宥誉上人の墓碑(元文2年〔1737〕)が見つかっています。
※過去の「おみだらせ」の記事です。
金枝城については、いろいろな方がお調べくださっています。
地元の方でも、金枝城の存在は知っているものの、その歴史や価値などについては分からないことが多い状況です。こうして教えていただけることを有り難く思っています。
その土地の歴史が明らかになると、地元への愛着がますます増してきますね。
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最後までお読みくださりありがとうございました。