坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

小さな石碑に込められた想い~観音堂の3つの石~


昨日は風のない穏やかな一日でした。

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寒椿(カンツバキ)が次々と咲いています。
大きな葉っぱの間から、向こうの景色を覗いてみます。


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お地蔵様の隣にあるのは如意輪観音堂です(子どもの頃は馬頭観音堂かと思っていました)。
江戸時代から続く女性の信仰を伝えるお堂です。

 

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そのお堂の傍らには、3つの石碑が並んでいます。

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あらためて、見える範囲で石碑の文字を確認してみました。

(左)  「廿三夜供養」 文政年間(1818~1831)

 

【二十三夜】
陰暦で二三日の夜。また、その夜の月待行事。二十三夜の月は、真夜中になってのぼる下弦の月。講単位で宿に集まり、念仏を唱えたり飲食したりしながら月の出を待ち、月を拝んで解散する。また、この日は鍼灸や初めての服薬を忌んだ。《季・秋》

『日本国語大辞典』「二十三夜」の項


「二十三夜は人事言うとも横寝はするな」ということわざがあるように、寝ずに月の出を待ったのでしょう。 次から次へと話に花が咲き、お念仏を唱えながら月を拝した姿が想像されます。

 (中央) 「(梵字)月念仏供養」 享保年間(1716~1736)

最初の梵字は、阿弥陀如来の種子キリク(キリーク)でしょうか(この場合は、如意輪観音の種子と思われます)。

 

きりく【紇利・紇里具】
《梵 hrīḥの音写。悉曇文字ではと書く》
阿弥陀仏の種子しゅじ。また、観自在菩薩(観音)にも用いる。
『例文 仏教語大辞典』「きりく」の項

 

(右)  「(梵字)光明真言 百万遍 各供養」 文政年間(1818~1831)

この梵字も、如意輪観音の種子のキリク(キリーク)と思われます。

こうみょう‐しんごん【光明真言】

仏語。真言密教でとなえる呪文(じゅもん)の一つ。大日如来の真言で、また一切仏菩薩の総呪。(おん)・阿謨伽(あぼきや)・尾盧左曩(べいろしやのう)・摩訶母捺羅(まかぼだら)・麼尼(まに)・鉢曇摩(はんどま)・忸婆羅(じんばら)・波羅波利多耶(はらばりたや)・吽(うん)。これをとなえると一切の罪業が除かれるといい、この真言をもって加持した土砂を死者にかけると、生前の罪障が滅するとする。詳しくは不空大灌頂光真言といい、略して光言ともいう。

『日本国語大辞典』「光明真言」の項

百万遍念仏
祈禱,追善などのため,大型の数珠を多数のものが早繰(ざらざらぐり)して,同音に唱える念仏のこと。百万遍の念仏に用いる大念珠を百万遍数珠という。(中略)百万遍念仏は〈過去追善,現在祈禱〉(《看聞御記》)に効験があるとされ,室町時代には村々でも盛んとなり,戦国時代には宮中の恒例行事となって,正月,5月,9月の16日に行われていた。今も寺院や村々で鎮魂,追善,農耕(虫送り,雨乞い),除災祈禱などの民俗念仏として伝承されている。
『世界大百科事典』「百万遍念仏」の項


この石碑の左下には、施主の戒名の一部が見えています(4文字くらい見えるのですが、中には珍しい文字が刻まれています。「梨」という字の「木」の部分が「里」になった漢字です。『大漢和辞典』によると国字のようですが、どのような意味があるのでしょうか。現代では旧字や難読文字はなるべく使わないようにしていますが…かつての住職に思いを馳せます)。

この一部の御戒名を調べたところ、文政2年(1819)9月25日に亡くなられた男性と分かりました。また、その方は、昨年の7月に見つかった涅槃図(明治37年(1904))を作成するに当たって、中心的な役割を果たした方のご先祖様ということも分かりました。

 

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世代を超えた信仰の姿がよみがえってきました。そのうちご法事の際にでも、御子孫様にお話させていただければと思っています。

住職としてお寺にいても、知らないことがたくさんありますね。このような学びの多い環境を有り難く思っています。


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最後までお読みくださりありがとうございました。