坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「時間」のお話②~刹那のお盆、夕立の閃光~「法の水茎」86

明日からお盆です。
数日前からミンミンゼミとともにツクツクボウシも鳴き始めました。
トンボも飛び交って、秋の気配も感じます。

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ミソハギ(禊萩)


ミソハギも少しだけ咲いて、風に揺れています。
亡き父は若い頃、「ハギ(萩)とミソハギ(禊萩)は違う」と、お檀家さんに注意されたことがあるそうです。お盆が近づくといつもその話をしてくれました。
ミソハギの花言葉は「愛の悲しみ」「慈悲」。亡き人に思いを馳せる草花です。

お盆の精霊棚にはミソハギをお供えして、喉の渇きを癒やしていただければと思います。

今回の文章は「時間」の「刹那」をテーマに、かけがえのない刹那の時を感じることについて書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」86(2019年8月記)






  宵の間の 群雲伝ひ 影見えて
   山の端めぐる 秋の稲妻
        (『玉葉集』伏見院)

(宵の頃に、群がった雲を伝って光が輝くのが見える。山の稜線をめぐる秋の稲妻よ)

 8月8日に立秋を迎えました。まだまだ厳しい暑さが続きますが、少しずつ秋の気配が立ち始めます。立秋前日の7日は、旧暦の七夕でした。夏の最終日に、織姫と彦星は何を語らい、立秋の朝に別れたのでしょう。

 冒頭の和歌に詠まれた「稲妻」という呼び方は、稲が開花し実を結ぶ頃に多く起こることから名づけられました。雷は「神鳴り」(神が鳴る)という意味です。稲は神様の雷光と結ばれることによって豊かに実るのでしょう。今年は梅雨時期の日照不足によって、水稲の実入りなど、農作物の生育の遅れも心配されます。実りの秋の五穀豊穣を祈ります。

  亡き人の この世にかへる 面影の
   あはれ更け行く 秋の灯火
     (『新続古今集』藤原隆祐朝臣)
(亡くなった方がこの世に帰ってくる。そのお姿が目に浮かんで、しみじみと夜が深くなっていく。ご先祖様が宿る秋の灯火よ)

 13日から16日は月遅れのお盆です。13日には迷わないようにお迎えをして、16日にはお見送りします。四十九日(しじゅうくにち)を過ぎて、初めてのお盆を「初盆(はつぼん)・新盆(にいぼん)」などと呼びますが、とりわけ初盆のご先祖様は、一刻も早く家に帰りたいと思われているのではないでしょうか。お盆中は家族水入らずで、心静かにゆっくりとお過ごしいただければと思います。

 なお、お盆の精霊棚(しょうりょうだな)(盆棚(ぼんだな))には、キュウリで作った馬と、ナスで作った牛を用意します。これは、足の速い馬で少しでも早く戻ってきてもらい、帰りは牛に乗って景色でも楽しみながらゆっくり行ってほしいという願いが込められています。私が住まいする地方(栃木県宇都宮市)には、「お盆の黒蝶には仏様が乗って来る」という俗説があるようです(『故事俗信ことわざ大辞典』)。牛や馬の他にも、いろいろな乗り物を選べるのでしょうか。

 このままずっとご先祖様と過ごしたいと願っても、お盆の4日間は瞬く間に過ぎ去っていきます。時は止まってくれません。

 仏教では「ほんの短い時間」を「刹那(せつな)」と呼びます。1日は24時間(86400秒)ありますが、「刹那」は、お経によれば1日に648万刹那もあるそうです(『倶舍論疏』など)。これは、秒数でいうと75分の1秒(0・013秒)という意識されることのない束の間の時間です。ちなみに「刹那」と似た短い時間単位に「須臾(しゅゆ)」があります。あまり聞き慣れない言葉かもしれません。こちらは1日に30須臾あるそうで、時間に換算すると1須臾は48分に相当します。このように仏教には、時間を表す言葉がたくさんあります。


 短い時間をめぐっては、次のような話があります。


 今となっては昔のこと。醍醐天皇(885~930)の治世の頃、京五条の道祖神がいらっしゃるところに、実のならない大きな柿の木がありました。その木の上に、ある時俄に仏様が現れました。まばゆい光を放ち、たくさんの花を降らせ、とても貴い様子でしたので、京のあらゆる人が詣でました。それは車も動けず、人も歩むことができないほどの、たいへんな賑わいでした。

 その頃、光大臣(ひかるのおとど)という人がいました。多くの才能に恵まれたとても賢い方でした。彼は仏が現れたことに対して「本当の仏が、木に現れるのはおかしい」と不審に思い、実際にこの目で確かめようと行ってみることにしました。

 着いてみると、確かに仏様がいらっしゃいます。しかし、大臣はやはり怪しく思い、仏に向かって瞬きもせず、一時(2時間程度)ばかり見つめていました。すると仏は、しばらく光を放ち花を降らしていましたが、じっと見つめられていたために堪えきれなくなり、突然鳥の鵄(とび)の姿に変じました。翼も折れて、木の上から地面に転落してしまったのでした。多くの人はこれを見て唖然とするばかりでした。
         (『今昔物語集』)

 ここに登場する大臣は、瞬きをせずにじっと見つめていたために、仏に化けていた魔物の真の姿を見破ることができました。瞬き1回に要する時間は、0・5秒前後と言われます。多くの群集は無意識に暗闇の時間を作っていたのでしょう。それを知って人々を化かしていた鵄も見事とは思いますが、刹那の時も休むことなく、ずっと見開いていた大臣の目は欺くことができなかったようです。

 あっという間のお盆の日々も、刹那を思えば長く感じられるでしょうか。夕立の閃光に刹那を思い、ご先祖様やご家族と過ごされるかけがえのない時間を噛みしめていただきたいと思います。

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最後までお読みくださりありがとうございました。