坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「病気」のお話②~「恋の病」に処方箋、時には「孤りの悲しみ」も~「法の水茎」39

あっと言う間に田んぼにも水が入ってきました。
ここ数日の雨は、大きな恵みの雨となったでしょう。

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水田

お寺からの眺めも、いよいよ田植え直前となりました。
今日は高原山や那須岳もクッキリ……山頂の雪もずいぶん少なくなってきました。
 

今回の文章は、四苦八苦の「病苦」をテーマに、「恋の病」について書いたものです。

 


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「法の水茎」39(2015年9月記)





  ことごとに 悲しかりけり むべしこそ 秋の心を 愁へといひけれ
                      (『千載集』藤原季通)
(折に触れて、全てが悲しく感じられる。なるほど、だから秋の心を「愁え」と言うのだな)

 今年も「稲刈月」を迎えました。さわさわと黄金色に波打つ稲穂を前にして、豊かな大地の恵みを実感します。

 夏の暑さが和らいでくると、吹き抜ける風にもまた秋の訪れを感じます。それは、熱く高ぶっていた心を落ち着かせてくれる「一服の清涼剤」でもあるでしょう。日に日に秋の気配を感じ取りながら、服装と同じように、自分自身も少しずつ「秋の心」に変わっていきます。

 ところで「秋の心」とは、どのようなものでしょうか。はじめに挙げた和歌には、「秋」という字と、「心」という字を重ね合わせると、「愁」になると詠っています。「憂愁」という言葉があるように、「愁え」(憂え)には「つらく悲しい」気持ちが込められています。秋風が身に沁みたとき、過ぎ去った夏を思い返しながら、移ろいゆく気色に切なさを覚える時もあるでしょう。秋は、何となく物思いに耽る季節なのかもしれません。

 「愁え」には、「病」という意味もあります。先月号に、仏教では404種類の病気があると書きました。この身体を含め、世界の全てを形づくる「四大」(地・水・火・風)には根っことなる4つの病があり、そこからそれぞれに100の病が生じていることから「四百四病」になるというのです。

 ところが、これら「四百四病」に入らない病気があることを知りました。それは「四百四病の外」と呼ばれる「恋の病」です。恋しさ故に起こる「恋煩い」は、決められた範囲の中に抑え込むことのできない、人間ならではの感情と言えるでしょうか。

  玉葛 花のみ咲きて 成らざるは 誰が恋ならめ 吾は孤悲念を
                     (『万葉集』巨勢郎女)
(花だけ咲いて実がならない玉葛のように、口先だけなのは、どなたの恋のことでしょう。私はあなたをこれほど恋しく慕っていますのに)

 この歌には、「恋」に「恋」と「孤悲(こひ)」の二通りの漢字が当てられています。自分の恋心(孤悲心)には、相手を思い遣り「孤り悲しむ」という心情が表されているのかもしれません。目の前にいない相手を求めると、同時に一人の寂しさも溢れ出してくるのでしょう。

 恋は、男女の恋愛ばかりを指すものではありません。土地や植物、季節などを慈しむ思いでもあり、それは仏様を慕う心とも結び付いています。

 昔、仏が亡くなって100年ほど過ぎた頃、インドに優婆崛多という聖者(悟った人)がいました。かつて天魔のために御恩を施したことがあり、それからというもの天魔は「どんなことでも命じられるままに恩返しをしたい」と願い出るのでした。

 そこで聖者は語ります。「私は、仏様のお姿をこの上なく恋しく思っている。そっくり真似をして私に見せてくれ」と。天魔は「お安いご用です。ただ、あなたが拝まれたりすると、私にとって好ましくありません」と答えると、聖者は「拝むことはない」と言い切ります。「絶対にですよ」と念を押すと、天魔は林の中に身を隠しました。

 しばらくして、林から歩み出た天魔を見ると、身の丈は一丈六尺(約4メートル85センチ)、髪は紺青(明るい藍色)、身は金色でした。それは、太陽がはじめて東の空に昇った時の光のように照り輝いています。

 聖者は、このお姿を目の当たりにするや否や、先ほどの約束を忘れて、知らず知らずに涙がこぼれ、大声を上げて泣き叫んだのでした。
                 (『十訓抄』)

 聖者は、日頃から仏様に会いたい思いを募らせていました。時には「孤りの悲しみ」も抱いたでしょう。天魔が似せたものと知りながら、お姿が立ち顕れた瞬間に、感激の涙にむせんでいます。聖者の「恋心」は、神仏を求め祈る「乞い心」とも通じ合っていたのです。

  心に恋慕を懐き、仏を渇仰して、
  便ち善根を種ゆべし。
          (『法華経』寿量品)
(恋い慕う心を持ち、仏を深く信じ仰ぐ。それは善いことを招くもとになる)

 彼岸花が咲いて、朝夕に涼しさを感じます。「恋の病」に処方箋を求めても、神仏への篤い「恋の心」は、いつまでも癒えることなく持ち続けたいものです。

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最後までお読みくださりありがとうございました。