坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「老い」のお話②~夜空の無数の星々に、ご先祖様を重ねつつ~「法の水茎」37

ツバキもキレイに咲いています。

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ツバキ

色とりどりの花が混じった結構な大木です。
ツバキは成長が遅いと聞きますが、どれくらいの樹齢なのでしょう。
一株から生い茂った姿は見応えがありますね。


今回の文章は、四苦八苦の「老苦」をテーマに、父母の恩について書いたものです。

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「法の水茎」37(2015年7月記)




 トントンカラリ……夏の夜空を見上げると、淡く光った天の川から、機織りの音が聞こえてくるような気がします。

 7月7日は「七夕」のお祭りです。この夜、働き者の織姫(織女)と牛飼いの彦星(牽牛)は、天の川を渡って年に1度の逢瀬を交わします。雨が降らないように祈りながら、五色の短冊に願い事を書いて、笹竹に飾り付けた日のことが懐かしく思い出されます。

  天の川 扇の風に 霧晴れて 空澄み渡る 鵲の橋
               (『拾遺集』清原元輔)
(天の川の霧は、この扇の風によって吹き晴れて、深く澄み渡った空に、鵲の橋がはっきりと見えるよ)

 この歌に見える「鵲(かささぎ)の橋」とは、天の川にかかる想像上の橋のことです。古来、2つの星が出逢うとき、鵲という鳥が翼を並べて、橋を架け渡すという言い伝えがありました。まさに男女の契りの橋渡しをしていたのでしょう。晴夜に瞬く星の光は、再び巡り逢えた幸せを映し出しているのかもしれません。

 七夕はもともと旧暦の7月7日(新暦では8月上旬)に行われていました。今では主に新暦7月7日の行事となり、それはちょうど梅雨時でもあることから、昔よりも晴れる日が少なくなったそうです。ちなみに、前日7月6日に降る雨は、出かけるために牛車を洗う雨ということで「洗車雨」と呼ばれ、七夕の夜に降る雨は、逢えなかった悲しみに流す涙の雨ということから「洒涙雨」と呼ばれます。もしも次の8日に雨が降ったら、それは後朝の別れを惜しむ「名残の涙雨」と言えるでしょうか。

 7月7日は「五節句」の1つでもあります。五節句とは、正月7日の人日(七草)、3月3日の上巳(桃)、5月5日の端午(菖蒲)、7月7日の七夕(竹)、9月9日の重陽(菊)を指します。この日は、それぞれの季節の植物を用いて邪気(病気などを起す悪い気)を祓う習わしがありました。清少納言『枕草子』にも、

  七月七日は、曇りくらして、
  夕方は晴れたる空に、月いと明かく、
  星の数も見えたる。
                 (『枕草子』)
(7月7日は1日中曇っていて、夕方になってからは晴れた空に、月がとても明るく、星も数えられそうなほどに見える)

と見え、七夕を含む五節句の美しさが挙げられています。月の明るい夜は、天の川が見えにくいとは言いますが、季節の変わり目に身を浄めながら、遙か彼方の2人にも思いを馳せていたのでしょう。

 七夕は、お盆(盂蘭盆)・旧暦7月15日前後)の行事とも深く結びついています。7月は「盆月」とも呼ばれ、7月1日は地獄の釜の蓋が開く日と言われます(「釜蓋朔日」)。この日から亡き人(精霊)がこの世に帰り始めることから、ご先祖様を迎える準備を始めます。

 7月7日の七夕は、お盆までの折り返し日であることから「七日盆」と呼ばれます。お墓参りや、盆棚(精霊棚)飾りの用意に取りかかりながら、身のまわりを整え、心の中も浄めていきます。

 昨年の「高尾山報」に、お盆は「ご先祖様への『親孝行』であり、これまで育ててくれた親への『恩返し』にもなる」と書きました。お迎えしたご先祖様に「感謝の心」で手を合わせれば、きっと優しく微笑みかけてくださることでしょう。

 「親孝行」については、次のような話があります。

 親が子を思う慈しみの深いことは、父の恩は須弥山(仏教で世界の中心に聳えるという高山)のように高く、母の恩は山を取りまく大海原のように広いと喩えられます。もし、長い間お経を唱えたとしても、父母の恩に達することはできません。

 母は、私が胎内に宿ってからというもの、身を苦しめ、心を尽くして、月を重ね、日を送ります。生まれる時には、桑の弓・蓬の矢を天地四方に放って立身出世を祈ります。

 この身体は父母から受けたものだから、傷つけないようにするのが親孝行の始めとは言うけれど、襁褓に包まれてから今に至るまで、親は昼も夜も心安まることはありません。人の親というものは、我が身の衰えなど気にもかけず、ただただ子の成長を願うのです。
                   (『曽我物語』)

 親は、自分が年齢とともに「老い成る」ことよりも、子供が健やかに「生い育つ」ことに心を配っているのでしょう。こうした親の温かみは、先祖代々、途絶えることなく今に受け継がれてきました。私などは、ともすれば自分のことだけで余裕がなくなり、さまざまな恩を忘れることも度々ですが、あらためて深い恵みを噛み締めなければと反省します。

  四恩の広徳に酬いて、
  三宝の妙道を興さん。
      (空海『性霊集』)
(四恩の大きな徳に感謝して、三宝(仏法僧)の正しい道を歩んでいこう)

 人がこの世で受ける4つの恩(四恩)には、父母の恩も挙げられています。夜空の無数の星々に、ご先祖様の姿を重ねつつ、その「恩」(恵み)の光を受けながら、静かに手を合わせます。


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最後までお読みくださりありがとうございました。