坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「会話」のお話①~言葉の力、笑顔で悲しみを隠して~「法の水茎」25

花冷えをこえて底冷えの一日です。

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雪の大師像

朝から季節はずれの雪が舞っています。
修行大師も驚かれているのではないでしょうか。

今回の文章は、六根の「舌」(会話)をテーマに、言葉の使い方について書いてみたものです。

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「法の水茎」25(2014年7月記)



  巧言令色、鮮し仁
(巧みな言葉を使って、表情を整えて、人に気に入られようとする者には、「仁」の心が欠けているものだ)

 中国の思想書『論語』の中の一節です。「仁」は「思いやりの心」を意味し、儒教における最高の徳目(道徳)とされています。

 会話が上手いのは羨ましいのですが、相手に気に入られようとして言葉を飾り、心にもなく顔つきを和らげて人に接していると、いつしか人間としての温かさを失ってしまうというのでしょうか。思えば、内面は自分自身にしか分からないものです。外見と同じように、心の中をも浄らかに磨くことができればと思います。

 言葉に注目すれば、仏教では「嘘をつくこと」(妄語)や「必要以上に言葉を飾ること」(綺語)、「悪口を言うこと」(悪口)や「陰口を叩くこと」(両舌))を強く戒めています。ところが油断をしていると、ついつい忘れがちになってしまいます。

 鎌倉時代の説話集『十訓抄』には、「人は、よく考えないで軽はずみに喋ったり、人の短所を悪く言ったり、人がしたことを非難したり、人が隠していることを話したり、人の恥ずかしいことを問いただしたりする。これらは全て、あってはならないことです」と語っています。「笑みの中の剣」という諺があるように、見た目は温和な表情を浮かべていても、心の奥底には無意識の悪意が潜んでいる場合もあるのでしょう。

 奈良時代のお話。高尾山薬王院を開かれた行基菩薩(668~749)の逸話に次のようなものが伝わっています。

 昔、智光という僧侶がいました。智慧の第一人者と呼ばれ、多くの学生にお経を説く日々を送っていました。

 同じ頃、行基はやはり仏の教えを弘め、迷っている者を教え導いていました。学問と徳行にも秀でていましたが、それは内に隠し、外見は修行者の姿をしていたのでした。

 ある時、智光は嫉妬心(妬み心)を起こして行基を責めます。「私は智者(知識の高い僧侶)である。なぜ私が評価されずに、行基のような未熟な者が誉められるのだ」と。

 すると、突如として智光に病魔が襲いかかりました。意識を失い、ようやくのことで息を吹き返した智光は、弟子たちに向かって静かに語りはじめました。

 「気がつくと私は、閻魔王(地獄の神)の使いに連れられていた。途中の道には黄金の宮殿があり、『ここはどういう所か』と聞くと、『ここは行基菩薩が生まれるべき所だ』と答える。さらに進むと、煙や炎が空に満ちて恐ろしく見える場所がある。『あれは何だ』と尋ねると、『お前が堕ちる地獄だ』と答えた。閻魔王のもとに行き着くと、王は私を叱りつけ、『お前は行基菩薩を妬み憎み非難した。今、その罪を処罰するために召したのだ』と仰った。私は罰を受け、やっと許されて帰ってきたのだよ」と言って、泣き悲しんだのでした(『日本霊異記』など)。

 その後、智光は行基菩薩に罪を詫びに行きましたが、行基はそれとなく智光の心を汲み取って、ニコニコと笑みを湛えていたそうです。智光は確かに「智慧」にすぐれた僧侶でしたが、「思いやり」という「慈悲」の心を忘れかけていたのでしょう。行基も悪口を言われて辛い思いをしたでしょうが、慈心(情け深い心)によって、笑顔で悲しみを隠していたのかもしれません。

 行基が亡くなるときに、弟子たちに教え諭した言葉があります。

  口の虎は身を破る
  舌の剣は命を絶つ
  口を鼻の如くにすれば
  後あやまつことなし
  虎は死して皮を残す
  人は死して名を残す
(言葉の使い方で、身を滅ぼすことがある。無駄なことを言わなければ、身を損なうことはない。虎は死んでも皮が重宝され、立派な人はいつまでも名を残し続ける)

 言葉の力を虎に喩え、使い道ひとつで凶器にもなり得るという教えは、行基の遺言として今日まで語り継がれています(『行基年譜』など)。そう言えば、虎の体には黒い「横縞(よこじま)」があります。あれは「邪言(よこしまごと)」(悪口)にも通じるのでしょうか。

 7月に入って暑い日々が続きます。喉の渇きに涼しさを求めても、舌の根の乾かぬうちに「冷や水を浴びせる」ことには気をつけたいと思います。


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最後までお読みくださりありがとうございました。