昨日は雨が降りました。
この時期の雨は、桜が散ってしまうのではないかと気にかかります。
今年は水不足のようです。用水路の水位が下がっていたり。。。
これから田に水を引き込む農家さんにとっては、まとまった恵みの雨が待たれるでしょう。
今回の文章は、六根の「鼻」(香り)をテーマに、五月雨やお香の煙について書いてみたものです。
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「法の水茎」24(2014年6月記)
雨の香りは好きですか?「香り」という言葉には、嗅覚で気づく「良い匂い」と、視覚で感じ取る「つややかな美しさ」が含まれています。
古く江戸時代の俳人、三浦樗良(1729~1780)は、日常に「雨のかをりの、なくてやはある」(雨の香りがなくてはなるまい)と語り、生活に潤いをもたらす雨の優美さを誉め称えました(「春雨弁」)。梅雨の「長雨」に色を増す菖蒲や紫陽花の姿を「眺め」ていても、いつしか心の中までもがしっとりと落ち着いてくるものです。
雨上がりの光景も、辺り一面をキラキラと輝かせます。雲の晴れ間から光が差し込み、露を払うかのような涼しい風に乗って、草木の息吹が漂ってきます。
五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする
(『伊勢物語』60段)
(5月(陰暦の5月)を待っている橘の花が咲いて、その香りを嗅いでみると、昔、親しかった方の袖の香りが思い出されるよ)
陰暦5月は、今の6月頃を指しています。湿り気のある空気の中で、爽やかな橘の香りを感じたとき、大切な人との懐かしい思い出が蘇ってきたのでしょう。香りの遠い記憶は消え失せることなく、ふとした瞬間に顔を出してくるものなのかもしれません。
平安貴族の間には、香を焚いて、その香りを着物に沁み込ませるという風習がありました。お線香にも使われる、沈香・白檀・丁字などの香木の香りを「香水」のように身にまとっていたのです。
ところで「香水」(香)は、人間ばかりが用いるものではありません。お寺や仏具を浄め、仏様に供える浄水のことを「香水」(閼伽水)と呼びます。僧侶は毎日「香水」によって身を清浄に保ち、閼伽井から汲み取った「香水」を仏様に供え、堂内に「香」を焚きしめます。荘厳な雰囲気の中で、一心に祈りを捧げます。
「香」をめぐっては、次のような話があります。
昔、山奥の柴の庵(粗末な家)で修行する僧がいました。水が欲しいときは、水瓶(水を入れる器)を川に飛ばして飲み、自分でも「これほどの修行者は他にはいるまい」と慢心(思い上がり)の心を起こしていました。
ところが時々、川上から水瓶が飛んできて水を汲んでいくのを目撃します。「どういう奴だろう」と悔しく思い、水瓶の後をついていくことにしました。
少し行ったところに小さな庵がありました。持仏堂(仏を据える堂)も造られて、庭には橘があり、木の下には行道(修行)の跡がありました。閼伽棚の下には花が積もり、軒下は苔むして神々しい様子です。窓の隙間から中を覗くと、机の上にはお経が置かれ、不断香(絶え間なく焚き続けられる香)の煙が広がっています。よく見ると、7・80歳ほどになる尊げな聖(高徳の僧)が、五鈷(密教の仏具)をしっかりと握って、脇息(肘掛け)に寄りかかって眠っていたのでした。
僧は「どういう人だろう」と思い、呪文を唱えて庵に火を付けよう試みます。すると聖は眠りながら散杖(杖の仏具)を取って香水に浸し、四方にそそいだのでした。
その香水が僧に降りかかった途端、僧の衣に火が付き、どんどんと燃え始めました。僧は大声で叫び、庭中を転げ回ります。聖は目を覚し、困っている僧の頭に香水をそそいだところ、すぐさま火は消えたのでした(『今昔物語集』)。
ここに登場する僧には、おそらく慢心(おごり高ぶり)という煩悩の火が、燃え盛っていたのでしょう。それを悟った聖は、香水を頭にそそぐことによって心の中をも浄めたのです。
聖の周囲は、いつも「不断香」などの「異香」(すぐれた良い香)で満たされていました。物に香りが移り沁むことを「薫習」と言いますが、聖の衣や身体にも、長年の善行(正しい行い)が沁みついていたことでしょう。それは周りの人々にも良い影響を植え付けます。
一片の香煙、経一口、
菩提の妙果、因とす。
(空海『性霊集』)
(一筋のお香の煙と、一途に口ずさむお経。ここから幸せは生み出される。)
香りは、暗闇だからこそ引き立つものです。心が暗く辛いときこそ「異香」を感じてみませんか?お香の煙は、お経の声とともに高く空へとのぼり、やがて「法の雨」となって再び私たちに降り注ぐことでしょう。
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最後までお読みくださりありがとうございました。