坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「笑顔」のお話②~真顔から微笑みへ、笑う門には福来たる~「法の水茎」15

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今日は目まぐるしく天気が変わる一日でした。 

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母子地蔵

法事中に雨音が強くなったかと思うと、お墓参りでは陽が差し込んだり。。。この季節ならではの天候です。

今回の文章は、前回に続いて「笑顔」をテーマに、幸せの意味、身近な人の慈愛について書いたものです。


    ※      ※

「法の水茎」15(2013年9月記)


  今までに 昔の人の あらませば もろともにこそ 笑みて見ましか
                            (『貫之集』)
(今、あの人が生きていらっしゃったなら、一緒に笑って眺めたでしょうに)

 嬉しい時、楽しい時、あの人が側にいてくれたら、どのような笑顔を見せてくれるでしょう。自分一人だけでなく、幸せを共有し、喜びを分かち合うことができたら……たとえもう逢うことができなくても、いつかの優しい表情がまぶたの裏に浮かんできます。

 日本人は、長きにわたって「笑顔」を大切にしてきました。例えば、江戸時代から続く郷土玩具(遊び道具)に「犬張子」というものがあります。犬の立ち姿をかたどった張子は、安産や子供の健康を祈る縁起物として広まりました。中には、犬に竹籠を被せたものもあります。「笑」という漢字は、もともと「竹冠」に「犬」と書きますが、この竹籠を乗せた犬張子は、「笑」という漢字をそのまま表現しているそうです。愛嬌のある顔つきの犬張子を眺めていると、文字通りいつしか顔がほころんできます。

 日本における笑いの起源は、『古事記』(712年成立)の「天岩戸開き」の話にまで遡るといいます。太陽の神である天照大神は、弟の素戔嗚尊の目に余る乱行に怒り、高天原の天の岩屋に閉じこもってしまいました。すると世界は一瞬にして常闇(永遠の闇)となります。

 八百万の神(あらゆる神々)は解決策を考えました。天照大神の気を引くために、天の岩屋戸の前で祝詞(神を祝福する言葉)を奏し、髪飾りをした女神に楽しげな舞を舞(ま)わせます。舞を見た神々によって、高天原は辺り一面、鳴り響くほどの笑い声に包まれます(「八百万の神共に咲ひき」)。

 すると天照大神は、「外は暗闇のはずなのに、なぜ歌ったり舞ったり、楽しく笑っているのだろう」と不思議に思います。そして少しずつ岩屋戸を押し開き、身を乗り出して外を覗き込んだとき、待ち構えていた神が一気に天照大神の手を取り、岩屋の外に引き出したのでした(『古事記』上巻)。

 八百万の神の行動は、ふさぎ込んでいた天照大神に華やぐ光を射し込みました。また天照大神が現れることにより、世の中も再び明るく照り輝いたのです。天照大神を心配した神々の「笑い」によって、天照大神は「真の笑顔」を取り戻しました。全ての心が穏やかになったとき、本当の笑顔(幸せ)で世界が満たされたのです。

 「笑顔」と言えば、子供の成長は親にとって何よりもの喜びですが、兼好法師(1283頃~1352以後)の『徒然草』最終章段には次のような話があります。

 兼好が8歳の頃、父親に質問をしました。「仏様とは、どのようなものでございますか?」と。すると父は「仏様とは、人間が成仏(煩悩を断って悟りを開くこと)したものである」と言います。兼好はまた問いかけました。「人間はどうして仏様になれたのですか?」と。父はまた「仏様の教えによってなったのである」と答えます。兼好はまた質問しました。「その仏様の道を教えてくれる仏様自身は、どなたから教わったのですか?」と。また父は答えます。「その仏様もまた、前の仏様の教えによってなられたのだ」。兼好はさらに「その教えを始められた第一の仏様(最初にこの世に現れた仏)は、どのような仏様でございますか?」と聞くと、父親は「空から降ってきたのだろうか。それとも土から湧いて出てきたのだろうか」と答えて笑ったのでした。「息子から問いつめられて、答えられなくなってしまった」と、父親は多くの人々に語って面白がっていたそうです(『徒然草』243段)。

 誰しも、何に対しても疑問を感じ、質問を繰り返す年頃というものがあるものです。少年期の兼好は、仏様に興味を抱いたのでしょう。父親に矢継ぎ早に鋭い質問を投げかけています。

 返答に行き詰まった父親は、「空から降りてきたのか、土から生まれ出たのか」と答えました。『法華経』には、「この娑婆世界(苦しみが多く、堪え忍ぶべき世界)の大地が揺れ動き、その中から金色に光り輝く無量の菩薩が湧き出た」(「従地湧出品)」)ことが説かれていますが、父親の言葉が果たして経典に基づいていたのかは分かりません。ただ、息子の疑問に答えようと、真っ直ぐに向き合っています。息子の成長を感じた父親の笑いにつられて、兼好の真顔もきっと笑顔に変わったことでしょう。

 兼好は『徒然草』の中で、自分の家族や、自分自身のことをほとんど語っていません。それなのに、父親との会話で『徒然草』を締め括ったのは何故なのでしょうか。年齢を重ねつつ、さまざまな経験を積んだ兼好は、もしかすると人生の原点に立ち戻っていたのかもしれません。今ここまで生きてこられたのは、身近な慈愛に支えられていたからではないか。遙か昔に交わした亡き父との何気ない遣り取りを思い浮かべながら、幸せの意味を自らに問いかけていたのではないかと思うのです。

 私の父が、時おり口ずさむ言葉があります。

  一怒百老 一笑百寿

 いつしかのラジオ番組で聞いたものを書き留めたとか。「笑う門には福来たる」。笑顔のお裾分けは、自分一人のためだけではなく、周りにも幸せを振りまくものなのでしょう。

 ただ時には、前号で取り上げた北叟のように、世の中の無常に心を澄ませて、一人「ほくそ笑む」のは如何でしょうか。

  何でやは ひとりわらひは 涼しいか
               (広瀬惟然)
 「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。たまには「ひとり笑い」(笑顔の独り占め)で、一服の涼を求めるのもまた一興かもしれません。 

     ※      ※ 

最後までお読みくださりありがとうございます。

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