坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

プロローグ~自己紹介を兼ねて、かたじけない涙~「法の水茎」1

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 高尾山薬王院から月一で連載している仏教エッセーをアップしていきたいと思います。  

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なかよし地蔵



 東京の八王子市に高尾山という標高599メートルのお山があります。都心からも近く学校の遠足やハイキングで登った方も多いのではないでしょうか。

 山の中腹には、高尾山薬王院というお寺があります。真言宗智山派の大本山で、修験道の霊山です。私も父の代からお世話になっており、若き頃には修行をさせていただきました。

 高尾山薬王院から毎月『高尾山報』という信者さん向けの広報誌が発行されています。歴史は古く、今月号(2019年3月)で662号を迎えています。

 その『高尾山報』に、2012年7月(582号)から「法の水茎」(のりのみずくき)という文章を書かせていただいています。仏様の教えを、私が学んできた日本古典文学の視点から書いているものです。

 ここ数年のバックナンバーは、高尾山のホームページにPDFで掲載されています。

www.takaosan.or.jp



 ここでは掲載終了しているそれ以前のものから、私の「法の水茎」のみをアップしていきたいと思います。よろしければ御覧ください。


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「法の水茎」1(2012年7月記)

  何ごとの おはしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

 これは私の好きな和歌の一つです。今から約八百年以上前に生きた西行法師(1118~1190)が詠んだものと伝えられています(『西行法師家集』)。高野山から伊勢の二見浦に移った西行は、伊勢神宮に参拝し、神々しい領域の中で涙が止まりませんでした。「どなたさまがいらっしゃるのか分かりませんが、おそ畏れ多く、有り難くて、ただただ涙がこぼれることよ」と詠っています。

 この平安時代末期、日本には「本地垂迹」という考え方がありました。聞き慣れない言葉かもしれませんが、仏・菩薩が人々を救うために、神の姿を借りてこの世に現れているというものです。西行は、伊勢神宮の木々の鮮やかさや吹き渡る風に神威を感じ、その背後に密教の大日如来のお姿を観ています。歌の中の「かたじけない」という言葉には、名にし負う二見浦のように、神仏・自然への〈畏敬の念〉と、神仏・自然に生かされているという〈感謝の心〉の両面が、一体のものとして詠み込まれていると言えるでしょう。

 後世、西行の足跡を辿った松尾芭蕉(1644~1694)には、西行のこの和歌を踏まえた、
  何の木の 花とは知らず にほひ匂哉
という句があります(『笈の小文』)。西行の涙を慕った芭蕉もまた、芳しい神仏の風に触れているのです。

 ここで私事を書かせていただきますことをお許しください。私の父・秀道が大本山高尾山薬王院第31世山本秀順師の門を叩いてよりこのかた、私も高尾山とのご縁を結ばせていただいております。昭和57年、9歳で得度(剃髪して仏門に入ること)し、はや30数年の月日が過ぎ去りました。当時の「高尾山報」(第224号)には「善智識、善導師となられんことを祈って止まない」と書いていただきましたが、まだまだ一人の人間として迷いの中にいるようです。

 20歳の頃、高尾山で「四度加行」という行法を修したことがあります。高尾山薬王院第32世大山隆玄御貫首より直に秘法を授けられ、数ヶ月の間、冬籠もりをいたしました。修行も終盤を迎えたある日のこと、いつものように諸堂参拝のため、奥の院不動堂の奥、浅間神社の御前で『般若心経』を読誦していました。すると思いもよらず、突然に大粒の涙が溢れだして来たのです。息も絶え絶えに、やっとのことでお経を読み終えました。振り返ると、参拝の方が立っておられ、泣き顔を見られたことが恥ずかしかったのを今でも覚えています。理由は今でも分かりません。何とはなしに涙が込み上げてきたのです。

 今思えば、西行の「何ごとの」の和歌と通じる心境だったのかもしれません。数ならぬ身と思っていた私が、大いなる高尾山の自然に抱かれていると感じたとき、自ずと涙の糸が頬を伝ったのではないか……怒り・恐れ・喜び・悲しみなどの人間の情動では計り知れない、まさに神仏の霊妙なお姿に触れた「かたじけない」感涙であったと思うのです。

 私は今、日本の古典文学と仏教との関わりについて学生とともに勉強しています。「仏教」と「文学」と聞くと、違ったものに感じるかもしれません。しかし、はじめに取りあげた西行の歌のように、和歌や説話、物語といったさまざまな文学作品には仏の教えが散りばめられており、また仏の教えを土台として書かれた作品も少なくありません。高尾山の句碑や歌碑の多くにも、仏の心が込められているでしょう。

 そのような意味合いから今回、「法の水茎」という表題を付けてみました。この言葉は、例えば次のような歌に見ることができます。

  見るたびに 袖ぞぬれける なき人の かきおく法の 水くきのあと

 これは、鎌倉時代の真言僧侶、頼瑜僧正(1226~1304)示寂の後に、弟子の良殿(1264~1336)が詠んだものです(『続門葉和歌集』)。良殿は悲しみに暮れながらも、師が遺した筆跡や手紙(「法の水茎」)を繰り返し読んでいるのです。

 先人が残した「法の水茎」は、時に心を慰め、時に人生の道しるべとなるものでしょう。和歌などの文学作品にも「法の水茎」は含まれています。仏の教えに彩られた珠玉のこと言のは葉に触れながら、皆さんとともに一歩ずつ仏の道を歩んでいければと願っています。

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最後までお読みくださりありがとうございます。